≪野鳥観察情報≫
   バードウォッチングのミカタ
 ======== by 松田 道生さん

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  第73回 プロの人たち
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前回、プロの野鳥カメラマンのエピソードをご紹介したところ、ちょっと反響をいただきました。皆さん、あまりプロの方の仕事ぶりをご存じないようで興味をひかれたようです。そういえば、野鳥カメラマンについてはいろいろ語ってきましたが、野鳥写真で食べているプロについては詳しく書いたことはありませんでした。

私は、仕事の関係でプロの野鳥カメラマンの友人知人がいます。プロとアマの境界があいまいなので定義するのが難しい世界ですが、まあ収入の多くが野鳥写真で稼いでいるといったところでしょうか。

ところで、プロの野鳥カメラマンといえば、古くは戦前の下村兼史さん、戦後は高野伸二さんを思い浮かびます。下村さんは映画、高野さんは日本鳥類保護連盟の職員として兼業していたので専業のプロの野鳥カメラマンは、島田忠さんあたりからと思っています。

1973年、平凡社が雑誌『アニマ』を創刊します。当時は、大判のグラビア雑誌が全盛期の時代で、『アニマ』は動物や自然をテーマとした雑誌として人気がありました。この雑誌の野鳥の記事を飾ったのが、島田さんの写真でした。今思えば、海外の写真や記事で補っていた誌面もありました。日本人による日本の動物の生態を捕らえた写真、それも大判の雑誌の見開き画面に絶えうる構図と力のある写真を提供できるカメラマンは貴重な存在で、私は島田さんの記事を楽しみにしていたものです。

1970年代、たまたま北海道の春国岱で取材中の島田さんとお会いしたことがあります。当時の北海道旅行は、海外旅行並みにお金がかかる印象がありました。こちらは、調査での出張ですから自腹ではありません。島田さんは埼玉県在住でしたから、私と同じくらいの旅費をついやしての取材だったのだと思います。野鳥写真を撮るため、けっこうお金がかかるものだと思いましたし、いわゆる原稿料のレベルではペイしないとも思いました。

それでも、野鳥写真の市場などないに等しい時代の『アニマ』は、ギャラのもらえる貴重な雑誌だったと思います。私も『アニマ』から原稿依頼を受けたことがありますが、自然保護団体のギャラに比べれば格段とよかったものの世の中の相場とそう変わりはなかったと思います。たとえ毎月、企画記事が載ったとしても取材費プラス生活費になったのかは疑問です。

当時、島田さんを目指した何人もプロの野鳥カメラマンが名乗りをあげましたが、なかなか食べて行けないのが実情でした。今ならばコンビニでバイトですが、当時は土木作業員や運送業、しばらく前は警備員や宅配便の仕分けでした。皆、20〜30才台でしたからできたことになります。私にまで「○○さんは、食えないで困っているから写真を使って上げて」と言われるほどでしたから、皆さん苦労されていました。

1980年代のバブルの頃は、野鳥写真の需要が増えたために食えるプロが出現した時代です。たとえば、フォト・ライブラリと契約すれば、社内報などに使われて、私の年収くらいは稼いでいました。野鳥の写真を撮って、ライブラリに入れておくだけで、営業努力をさほどしなくても月々お金が入ってくるのですから、また野鳥の写真を撮りに出かけることができます。さらに、広告のキャンペーンなどに使われれば一桁違うギャラとなり、数年は安泰と豪語していたカメラマンもいました。

ただ、プロはプロとしてのやりたい仕事があるので、傑作選のスライドを持って出版社まわりをしていたカメラマンもいます。ツテを頼っての売り込みから飛び込みまで頭を下げての営業をしたと、苦労話を聞かされたことがあります。ですから、写真集の出版記念パーティは、カメラマンが集まって編集者を紹介しあう場となっていました。誰もが、いろいろ苦労したと思います。苦労された皆さんは私と同年代、企業ならばとっくに定年か、そろそろです。今も活躍できるのは、苦労し続けた結果に加えて実力の持ち主であることは、なっとくできます。

今も、がんばっている若手のプロの野鳥カメラマンが、たくさんいます。先輩たちと同じような苦労をしていると思います。野鳥の魅力を表現して伝えることができる写真、プロの力でより業界をもり立てて欲しいものです。