≪スタッフ・有志の連載≫
 <第55回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第55回 ノビタキだより
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秋は美しい季節です。目を奪う紅葉、命をかけた渡りを経てやって来た鳥、まるで置物のようにつつましく咲く秋の草花、日を追うごとに少しずつ侘びてゆく野の景色…。目に焼き付けておきたい自然がそこここに遍在しています。
けれども秋、私の視野はこれ以上はないというほどに狭くなってしまいます。私の関心のほぼすべてが、一種の鳥に集約されてしまい、他の事物に目が行かなくなってしまうのです。仕事中も食事中も花や虫を撮っているときも、眠っている最中でさえどこか上の空、私はその鳥のことばかり脳裏に浮かべては、溜め息をついています。
本通信にエッセイを寄せるようになって今年で7年になりますが、10月の本通信にその鳥が登場するのは、実に6回目となりますから、これはもう病的なまでに“ホンモノ”なのではないでしょうか。

鳥の名はノビタキ(野鶲)。学名:Saxicola torquata 英名:Common Stonechat 約13cm
初夏、本州では高原の開けた草地や牧草地などで繁殖する。夏の終わり頃から徐々に標高の低い草地や農耕地に移動し、ここで十分な休息(親鳥は子育ての疲れから回復しなければならない)と栄養補給を行い、平地でも木々の紅葉が進むころ、越冬地である東南アジア方面へと数千キロに渡る旅をする。

ノビタキのファンて多いと思います。小さくて愛らしくて…。
特に初夏から晩夏にかけて、高原などで子育てをする彼らが、その習性から草花――代表的なものではレンゲツツジ・ニッコウキスゲ・コバイケイソウ・ヤナギラン・ホザキシモツケなど――にちょこんとの乗っている姿が――成鳥でも幼鳥でも――なんとも絵になるものですから、カメラマン受けするのでしょう。
初秋、彼らは里に下りて来ますが、ここでもヒガンバナやコスモス、秋咲きのヒマワリなどに乗る姿が好んで写されるようですね。

これはあくまで個人的な感興なのですが、私は里に下りてきた秋のノビタキにとことん惹かれています。
上記のような“花とノビタキ”もまったくもって素敵ですし、私自身何度か高原に足を運んだこともあります。でもその内、ノビタキという鳥を最もノビタキたらしめているのは、実は秋なのではないかと気づかされたのです。
秋、子育てを終えたノビタキは、集団または家族単位で里に下りてきます。繁殖中の雄は頭部が真っ黒ですが、里に下りてゆく途中でその繁殖羽は摩耗し、地味な茶色に変身します。顔の周りに黒さが残っている個体もけっこう見かけます。この段階で子どもたちは自分で餌が獲れるなど、基本的には自立を果たしています。つまり、秋の里でのノビタキは、春の命がけの渡り⇒求愛⇒巣作り⇒子育て⇒教育⇒移動等の様々な内憂外患から解き放たれ、多分1年の内で最もリラックスできる時間を過ごしているのです。
折しも里では、それほど華やかではないけれど、様々な秋草や秋の花が咲き乱れ、彼らを受け止めます。秋色を背景に、そんな草や花にはんなりととまっているノビタキの姿のなんと愛らしく、儚げで、少し侘びしげで、そして里の優しげな自然に溶け込んでいる様の美しいことか。

そう、そのことに私は気づいてしまったのです。
爾来、初秋から彼らの姿がすっかり見えなくなってしまう晩秋まで、私の関心のほぼすべてがノビタキに収斂してしまうのです。
セイタカアワダチソウ コスモス コセンダングサ

花どまりは確かに愛らしいのですが、名も分からぬ秋草にとまる風情がより“らしい”気がされて、好んでレンズを向けます。
    セイバンモロコシ

「何を撮られてますかな」
散歩中の老人によく声をかけられます。
「あ、はい。ほら、あそこに鳥がいますでしょ。小さな地味な鳥が…」
「う〜ん、よく分からないな」
「あ、じゃあここを覗いてみてください」
デジスコの液晶画面に、草どまりのノビタキを入れてお見せする。
「あ、ほんとだほんとだ、小さいですね。スズメじゃないようだが…」
「ノビタキっていうんです。渡り鳥ですね。この後東南アジア方面に向けて、何千キロも旅するんです。あんなに小さい体で」
「何千キロ!そりゃ、すごいな。あの体でそんなに飛べるんですか」
「飛んでいくんですよねえ、休みやすみでしょうけれど。考えてみるとすごいことですよね。でも、途中で力尽きて命を失う子もたくさんいるようなんです」
「そうですか、命がけなんですね、渡りって」
「命がけなんです、渡りは。でも、どうしたってそうしなきゃならない理由があるみたいです」
「日本じゃ冬は越せないということですかな」
「そうなんでしょう。そうやって昔々から、春秋の渡りを繰り返しながら命を継いできたんでしょうね」
「ふ〜む、そんな風に聞けば、あの小さな鳥がとても愛おしく見えてきますな。だからあの鳥を?」
「渡る鳥はほかにもたくさんいますが、私にとってノビタキはなぜか特別なんですよね。地元の農地を、毎年秋になれば一度も欠かすことなく通過してくれるんです。渡りのルートと言ってしまえばそれまでなんですが、毎年毎年彼らの姿を見つけるたびに、その律義さが健気で、姿が見られるだけでなんだかすごく嬉しくて…」
「分かるような気がします。地味でちっぽけで、でも愛しくてならないということは、あると思います」
何度も液晶画面を見直しながら、私の偏った志向にご老人は理解を示してくれたのでした。

当地のノビタキは、農作物の上にもよくとまります。その姿がなんだか楽しくて面白くて、よくレンズを向けます。
ナガネギ サトイモ トウモロコシ

10月半ばごろから今年は長雨にたたられ、外に出ることができません。この通信が皆様のお手元に届く10月の末に、まだノビタキはいてくれるでしょうか。長雨の後の秋晴れの下で、もう一度その姿を見せてくれたら嬉しいのだけれど。
降り続ける雨空を恨めし気に眺めながらこれを書いています。まるで会いたくても会うことが叶わない“好きな人”を想いながらのように。

(了)