≪スタッフ・有志の連載≫
 <第56回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第56回 冬が来る前に
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こんなタイトルがちょっと的外れに思えるくらい、人々が外出の際、厚手のコートやダウンを身にまとい、いくぶん背を丸め俯き加減に歩く姿を11月の内から見られたように、例年よりずいぶん早く、今年は冬が来てしまったようです。10月は長雨にたたられ、ようやく天気が回復してきたと思ったら、小春と呼べるような日は数えるほどもなく季節が進んでしまいました。
秋が短いのは、とても不幸なことです。なぜなら秋の、とりわけ雑木林が鮮やかに色づき、様々な木の実が生り、柿が農家の庭先でたわわに実り、そこに鳥や越冬蝶などが群がる晩い秋の風情ほど私を虜にしてしまう景色はないからです。

そこで私は、少々焦り気味に、本当の冬が来てしまう前に、そんな里の景色を、昔ならフィルムにということになりましょうが、デジタル時代の今ならメモリーカードに、そしてもちろん己の網膜に焼き付けようと野に山に足を運びます。
身近な鳥を、というのがいつもの個人的なテーマなのですが、こんな晩秋の風景の中に、いかにも自然に溶け込む身近な小鳥たちの姿を見ることで、私は深い充足感を味わうことができます。
幸せは、なんて書くと陳腐でしょうが、それでも敢えて幸せは、ごく身近な景色や小さな鳥に内在するのだなと、改めて思わずにはいられません。これって、お金なんかでは決して買えませんね。
シジュウカラ ツグミ メジロ

オールドファンならご存知かもしれない、今回の「冬が来る前に」というタイトルと同じ歌があります。“赤い鳥”という、いまは学校の音楽の教科書にもその楽曲が載せられるような優れたフォークグループが解散し、デュオとして再出発したのが“紙ふうせん”で、1977年に彼らが歌ったのがこの「冬が来る前に」でした。 その二番の歌詞はこうです。

♪秋の風が吹いて 街はコスモス色
♪あなたからの便り 風に聞くの
♪落ち葉つもる道は 夏の思い出道
♪今日もわたし一人 バスを待つの
♪冬が来る前に もう一度あの人と めぐり会いたい
♪冬が来る前に もう一度あの人と めぐり会いたい

まあ、他愛のない失恋ソングなのですが、男女のデュオのハーモニーがきれいで、冬が来る前にというフレーズを思いつくと、途端にこの曲がよみがえってくるのは、もしかしたら私だけではないかもしれませんね。
でもまたなぜ「冬が来る前に」なんだ? こんなフレーズを思いつく、ないし思い出してしまう己の性癖について、時折り考えることがあります。自分ではそのつもりはなくとも、案外未練たらたら、過ぎてしまったことを引きずる面があるのかなと、そうした情けない面がこんなところでヒョッコリ顔を出すのかなと疑い出したりしています。

ずっと昔に亡くなった親父は神田の生まれで、生粋の江戸っ子でした。今も頑張って生きている老母も港区は芝の出ですから、まあこちらも江戸っ子といえば江戸っ子。親父の方はといえば比較的裕福な家に育ったにもかかわらず、どんな事情か分かりませんが高等小学校までしか行かせてもらえず、けれども学問が好きで十代の頃は毎日図書館に通い、また蔵書もどんどん増えて、その重みでついには自室の床のネタが抜けてしまったというウソのようなホントの話があったほど。でもな、こうした行き当たりばったりの勉強はやっぱりいけねえ、学問は体系的にやらないとモノにならねえよ、とは親父の口癖でした。だいぶ年齢が行ってから戦争に駆り出され、満州のロシア国境、極寒のシベリアで自動車部隊の一員として、凍てついた大河の上をトラックで走り、食料がなくてトカゲを食べたり(シベリアにもトカゲがいるんだ!)、ロシア兵と鉢合わせしてお互いに肝を冷やしたり、鉄砲の弾が頭をかすめたことも何度かあったと、問わず語りにぽつぽつと話してくれたこともありました。ただし戦争ものの映画やドラマは決して見ようとしませんでしたから、言葉にできない、思い出したくないシーンを幾つも見てきたのでしょう。終戦後(敗戦後)1年足らず(?)で引き上げ船に乗れたのは多分にラッキーだったのではないでしょうか。シベリアに抑留され、強制労働の上寒さと飢えから死んでいった軍人が数多くいたわけですから。

酒が好きで釣りが好きで、句作をし、花を愛し自然を愛し、ただ商売に失敗したりでずいぶんと母親に苦労をかけたようですが、それでも男の子三人を大学まで出したのですから、そこは立派だったといってよいのでしょう。
体系的な学問ではなかったかもしれませんが、幅広い知識は相当なもので、何かを質問して答えられなかったことはなかったと記憶しています。そうした知的な面もある親父でしたが、そこは江戸っ子、短気でおっちょこちょいな面も時折り覗かせることもありました。
私が学生の頃、新宿にあった私のアパートを訪ねて来て、たまたま私が留守をしていたものですから、仕方なく近所の焼き鳥屋に入って一杯始めたのがいけない。少々酒が回りはじめた親父が、そこでクダを巻き始めてしまったのです。バカヤロウ、こんな新宿みたいなド田舎で酒が飲めるかってんだ、こちとら神田の生まれよ、オメエさん方と一緒にしてもらいたかねえや、と言ったとか言わないとか。まあ確かに新宿は、甲州街道の最初の宿場町でこそありましたが、一歩外へ出れば魔物だか貉だとかも出そうな原野ばかりで、とても人など住めない所でしたから、親父の言うこともあながち的外れではないのでしょうが、いかにせん時代が違います。新宿がド田舎だと言われてなんのことか分からない人の方が多かったはずです。

こんな親父の性癖を受け継いでいるのかどうなのか、私も若いころは相当に短気で(今も時々切れる?)、独善的で早合点で理屈っぽく甘ったれで、まあ結構イヤな奴だったと思われます。あまり人を寄せ付けず、いつも一人でロック喫茶でストーンズやビートルズやツェッペリンを聴きながら、お金がなくて古本の文庫本を読んでばかりいました。ロックを聴き疲れると、ジャズ喫茶に行ってビリー・ホリデイやブルースを聴いて時間を過ごしました。未来に希望が持てず、ただただ若さを持て余すばかりでした。新宿は、そんな孤独な青年を黙って受け容れてくれた、そんな街でした。
長じて働きだし、結婚をし子をもうけ、その後も平々凡々たる生活を営んできて今に至ります。大きな悔いはないものの、なんだか語るほどの人生を過ごしてはいないなと思います。時代もあるのでしょうが、親父の方が余程起伏のある生を生きてきたのではないかと思えてしまいます。

でも有難いことに、ここ15年ほどは身近な自然の儚いまでの美しさに目覚め、それを追い求め執着するようになりました。ただし季節の移り変わりと、それに伴う己の気持ちや所作にズレが生じたときなどに、未熟な私が顔を覗かせます。私はは焦ったり恨んだり、思い通りにいかないときの幼な児の様に地団駄を踏み、行ってしまう季節にいやいやをするかのように「冬が来る前に、もう一度あのシーンを胸に刻みたい」と悪あがきするのです。
イロハモミジ 黄葉 紅葉

そして冬になりました。
私の思惑などどこ吹く風、季節は進み行き、いやおうなく冬です。
ぐずぐずとだらしない未練を断ち切るように、私は冷たい風が吹き抜ける葦原に立ちます。そして冬の猛禽と真剣に対峙します。精悍で緩みのない冬の猛禽は、私の甘えた未練などきれいなまでに無視し、敢然と大空を舞うのです。私はその潔さに励まされるように、来たる季節と心を同調させます。
ノスリ トビ 日没後のチュウヒ

美しき晩秋も通り過ぎてしまえば、もはや思い出です。
冬の野は茫漠たる様相に変わりますが、これもまた自然。そのことを受け容れたとき、私の未練も終焉を迎えました。
するとどうでしょう、色味の少ない、そこここの冬のシーンがとても新鮮に生き生きと映るではないですか。
ホオジロ カルガモ オナガガモ

(了)