≪スタッフ・有志の連載≫
 <第58回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第58回 花の撮り方 ―デジスコという手法禽
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寒かった今季の冬とは裏腹に、春の花たちの開花は例年よりずいぶん早いようです。
桜が咲けば、もはや世間は春爛漫。私の住む町の東部に広がるM田圃では、用水沿いに何kmも連なる(延べにすると日本一の長さになるらしい)桜のほかに、園芸種の畑に桃や連翹、雪柳や木瓜等の品種が競うように咲き、惜しげもなく、そして誇らしげにその色彩を放ち、野を彩ります。

春ですから、その色彩はやはり油絵というよりは、淡く優しげな水彩に近いでしょうか。

都内の桜がほぼ満開というニュースに触発されて、少し気の早い“お花見”に行ったのはよかったのですが、広大な農地ゆえに都内よりは気温が低く、ソメイヨシノが満開となるのは都心より1週間ほど遅れるのがこちらの常で、案の定M田圃の桜は二分咲き。延々と続く用水沿いの桜が満開になれば、近くから見ても遠景として見ても、それはそれは見事な景観で、なぜここがもっと話題にならないのかと不思議なくらいの当地の桜です。
その桜が二分咲きでは少々残念でしたが、なに、そんなにめげることもなくて、ソメイヨシノ以外の桜―カンザクラ・コフクザクラ・シダレザクラ・オカメザクラ・ヒガンザクラ・陽光・名の分からない桜―がそちこちで見られ、さらに上記の花がどこにでも咲いているので、寂しいことはないのです。適当な所で敷物をしき、お弁当を広げるのですが、木瓜の赤・連翹の黄色・雪柳の白・早咲きの桜の淡いピンク・地を這うように咲き広がる仏の座の鮮烈なピンクなどの色彩が目の前で競い合うという贅沢。わけても目につくのは、真っ白に咲き誇る辛夷や木蓮です。ソメイヨシノの頃にはこれらの花の勢いが衰えるのが常ですが、少し早く行ったのが幸いし、辛夷も木蓮もそれはそれは抜群の存在感を放っていました。

どこかで記しましたが、個人的には早春の風情がなんといっても好みなのですが、こうして爛漫の春に身を置けば、それはそれでやはり幸せなことと、ありがたいことと思わないわけにはゆきません。

 行く雲の 光かがよう 花辛夷 (野口香葉)
 白木蓮(ハクレン)に 純白という 翳りあり (能村登四郎)


鳥をはじめとした、自然の生き物の撮影を楽しむようになってずいぶん経ちます。この間、カメラやレンズもずいぶん進歩して、撮影はずっと楽になりました。
楽になりましたが、その腕前はちっとも変わらないのが悩みです。基本的な撮影知識がどうこうより、要は撮影センスに欠けていることが大問題です。絵を見るのは好きなのに、描くのはからきし、というのと似ています。

鳥撮りはデジスコ、花や小さな虫はデジイチというのが現在の私のスタンスです。
鳥撮りに関しては、もはやデジスコが私の手足のようになっているので、これを使い続けたいと思いますし、それなりの“こだわり”もあります。
問題は花撮りです。花の撮り方って正に千差万別で、もちろんこれが正解というものはないのでしょうが、それにしてもあまりにも“ありきたり”のオンパレードで、我ながらイヤになります。上手な方の真似もしてみるのですが、同じような画にはならないのが常です。真似は真似以上にはならないのですね。自分はこう撮りたいという意志というかこだわりがあって、その上で試行錯誤して出てきた画が、少なくとも自分にとっての良い画・納得のゆく画となるのでしょう。徹底して広角レンズを使うとか、マクロレンズを駆使するとか、前後の暈けや花の配置に最大の注意をはらうとか、それぞれあるのでしょう。
ところがそういうことを含めて、デジイチでの撮影がどうにもうまくゆきません。

この春、私は久しぶりにデジスコを花に向けてみました。ロクなデジイチを持っていなかった時代、私は花でも虫でもみんなデジスコで撮っていました。たった3pメートルのイトトンボさえデジスコで撮っているのをみて、虫好きの方が呆れていましたっけ。(虫に近づけないような場合では、今でもそうしています)
被写界深度が極端に狭いデジスコでは、虫はともかく花撮りでは面白い効果が望めるのです。デジイチではうるさくなってしまう背景が、デジスコではきれいに暈けてくれるという利点があって、好んで撮っていた頃がありました。しかし、近くで撮るデジイチの精細さや前後の暈けの美しさがやはり魅力で、ここ何年もデジスコで花を撮るということから離れていました。
梅が好きでよくレンズを向けるのですが、この春、ふとデジスコで撮ってみたのです。でもなにやら扁平な画にしかならず、ああ、こんなものかといったんは思ったのでした。

花撮りって、初めに「あ〜きれい、わぁ可愛い」なんていう思いがあって、それを収めたいという思いからレンズを向けますよね。でもいくら好きな梅でも、たとえば毎日のように何時間も眺めていたらさすがに飽きますね。 そんなある日、むしろ花を突き放すような思いで、遠くの梅を、しかも花数の少ない枝先にスコープを向けて覗いてみたら、なんとはなしにしっくりくるので、もちろん連写などせず、フィルム時代のように1枚、また1枚と丁寧にシャッターを押してみたのです。デジタルの時代になって一番変わってしまったのは、1枚1枚に対する思い入れではないでしょうか。鳥撮りは連写しないわけにはいきませんから仕方のないことですが、ダメなのは消せばいいという思いが根底にありますから、これが花撮りでも共通してしまっていて、気軽に手軽にシャッターを押してしまいます。
非科学的なことを言うようですが、1枚への思い込みって、かなり大切なのではと、この頃改めて思うのです。その思いがないと、何枚撮ってみても“ゴミ箱行き”の写真にしかならないのではと思うのです。ダダダダと連写する鳥撮りだって、それは同じです。

で、そんな思いで、しかし対象の花を少々突き放した感じに捉えてみたら、こんな画が出てきました。
(サムネイル画像をクリックしてご覧くださいね)

これらの画、ちょっと寂し過ぎるキライはありますが、これはこれで自分としてはある程度納得ができました。
合焦最短距離が5mほどのデジスコですから、そこまで近づけば花も大きく撮れますが、あえて15〜20m先の花に目をつけました。(ちなみに35mm換算、1200mm〜1500mm相当で撮っています)
まあ梅は絵になりやすい花なので、これはこれで一つの世界を提示できた気もします。
では、他の花ではどうでしょうか。
アセビ マンサク カンザクラ

今後もずっとデジスコでしか花撮りをしないというのではなく、デジスコにはデジスコ独特の世界観が提示できて、ときにこの手法も使っていきましょうと思うのです。

さて、この感じ、鳥撮りにも活かせないかとトライしてみたのですが、こちらは格段に難しく、なかなか思うような画は出てきません。

やっぱり可愛いなっていう思いが先に来てしまうのは、まあ人情というものでしょう。
ましてや好きなメジロの画が可愛くなるのは、むべなるかなと考えてしまう私は、やはりどこか徹しきれない甘さがあるようです。


地元のM田圃のソメイヨシノは、この通信が皆様のお手元に届くころ、きっと満開を迎えていることでしょう。 さて、この土日、私は華やかに咲き誇る花を、突き放して見ることができるのでしょうか?

(了)