≪スタッフ・有志の連載≫
 <第60回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第60回 原始の森に駒鳥歌う
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7月中旬、あまりの暑さに辟易していた私は、隣県の山へと車を走らせました。
2時間あまりで現地着。標高は1,300mほどか。今季の異常なまでの暑さはこの高さにも及び、早朝にもかかわらず陽の光が強い。たださすがに湿度は低く、いまのところ日陰ならば汗は引っ込む。山の一番良いところです。
一応ハイキングコースになっているらしく、数台の車が停まってはいるものの、人の気配はありません。
ネット上で何気なく見つけたこの山。どんな自然や生き物を目にすることができるのかという詳細が分からぬまま、もしかしたらイイ所かもという根拠も何もない勘だけを頼りに、しかしその分からぬことをむしろ楽しみにやってきた山です。

渡り鳥などが縄張りを確保したり、雌を呼ぶために囀る時期はほぼ過ぎているため、鳥の声は多くはありません。それでも伴侶を確保しきれていないらしきオオルリが一羽梢で囀っており、森の奥からはキビタキの声もします。エナガ・ヤマガラ・アカゲラ・カケス等の平地でも見られる鳥の声も聞こえると共に、通常2,000m超の山で見られるホシガラスらしき鳥も飛びます。渓間の底の方からはコマドリのあの独特の“いななき”も届きます。少し歩くと、シラビソの上でビンズイがしきりに歌っています。ここは標高的にミズナラ・ダケカンバ・シラカバなどの広葉樹林が広がる山ですが、中に少し針葉樹も見られる混交林となっています。予備知識なしに歩くことで、そうしたなんでもない発見観察がとても新鮮に映るのが素敵です。
さらに歩くと…
お、開けた草地と森の境目に、数頭のニホンジカ。数百メートル先ながらさすがに野性。かれらはこちらの存在にいち早く気づき、それでも特に慌てる様子もなく、ゆっくりと森の中へと姿を消して行きました。危険かどうかの距離感を、かれらはきちんと把握しているのでしょう。

森の中に入ってきました。山道こそ細々と続いてはいるものの、この森はほとんど人の手が入っていない、謂わば「原始の森」の様相を呈しています。樹木が鬱蒼と生い茂り、ほとんど陽の差しこむ余地がありません。渓流沿いに小道が続きますが、川石は深々と苔に被われ、その渓流の向こうに黒々と横たわる森の奥に、もしや得体の知れぬ生き物が潜んでいてもだれも疑わない、そんなえもいわれぬ雰囲気―森の深く、ジブリ映画に登場しそうな精霊の存在すら脳裏に浮かんでくる―に少し気圧されそうになりながら、一歩一歩、歩を進めます。
と突然、そんな静寂を打ち破るように、一羽のミソサザイが私のすぐ近くで囀り始めました。そのけたたましいほどの彼の大声に目を醒まされたように、私はそちらの方向に目をやります。けれどもただでさえ焦げ茶色の目立たないミソサザイが、薄暗い渓流脇の茂みにいるようなので、なかなかその姿を見つけられません。そこで声のする方向に数歩足を運んでみると、鳴き声は止んでしまいました。暫くして再び鳴き始めたのは10mほども先です。また少し近づきます。また鳴き声は遠ざかります。いたちごっこなので、大きな木の後ろに隠れるように座り込み、彼がやって来るのを待つことにします。
そうすること20分。やっと姿が見えました。そっとデジスコを覗きます。ところが彼の立ち位置があまりに暗く、ほとんど撮影になりません。何度かトライしましたが、ほぼブレてしまうので諦めました。

川筋近くで、チョウが2頭舞っています。いえ、舞っているのではなく、♂2頭が卍巴飛翔=マンジトモエヒショウ(雄同士が縄張りをめぐって絡み合うように飛ぶ様)をしているのです。しかもチョウはミドリシジミの仲間、同定はしきれませんがジョウザンミドリシジミのようです。
デジイチにカメラを持ちかえてこちらにレンズを向けてみます。けれども不規則に上下左右に飛び回る2頭の小さなゼフィルス(樹上性の美しいシジミチョウ群の別称。全25種いる)をフレームインさせ、かつピントを合わせるのはほとんど無理なようです。そこでフォーカスをマニュアルに変えて、フォーカスリングを回しながら飛翔する2頭をレンズで追います。暗くてSSは上がらず、難しくもしかし面白い撮影でした。
ビンズイ ミソサザイ ジョウザンミドリシジミ

チョウを追っていると、渓流の下手からヒンカラカラカラの明瞭な鳴き声が。駒鳥という名の所以がそのままの鳴き声です。
ああ、やっぱりな、コマドリくん。時期的には少し遅いかなと思っていたのですが、まだ鳴いてくれました。コマドリは、別の山の麓の棲息場所に見に行きたかったのですが、火山であるその山が今年噴火してしまったので、断念していたところでした。
コマドリもまた、コルリなどと並んで声はすれども姿は見えずの典型のような鳥で、しきりと鳴くその声の方に目を凝らすのですが、なかなか見つかりません。コマドリくんは時折り居場所を変えながら、実に精力的に鳴き続けます。そしてようやく、苔むした岩の上に乗った姿を捉えることができました。
このコマドリ、おそらく初めて人の姿を見たのではないかと思えます。というのも、その後あちらこちらに姿を現したのですが、こちらが近づいても少しも逃げることがないからです。鳥の異物に対する警戒心には個体差があると経験的に思っています。幼鳥などは基本的に“怖いもの知らず”なのでしょうが、成鳥でも、所謂気のいい個体がいます。このコマドリはそちら側なのかもしれませんが、多分人の姿を見たことがないので、恐れる感覚を持ち合わせなかったということもあるのではと推察しています。

コマドリは人気のある鳥で、どうかすると志の低いカメラマンたちにすぐに餌付けされてしまいます。あるいはなかなか目の前に現れてくれないので、音声機器でおびき寄せる手法が当たり前のように行われています。そんな現場にこれまで何度も遭遇し、がっかりしたものでした。
けれどもコマドリ自体の生息数は決して少ないものではないので、棲息環境などを知り、しかるべき場所で探鳥すれば必ず会える鳥です。

さて、このコマドリとの出会いから遡ることひと月。実はこことは違う低山の、しかしこちらもほとんど人の手が入らない原始に近い森で、少し変わった鳥に出会えたのです。鳥の名はミゾゴイ。コマドリとは違い、数の少ない森林性の鳥で、スギ林の林床などで虫やミミズなどを食べています。暗い林床にいてはなかなか目立たないことと、かなり警戒心も強い鳥なので遭遇しづらい点も、稀少種たらしめているのかも知れません。
この日、山の支流沿いにカワトンボなどを探しに来て、たまたま姿を認めたのでした。子育て中のようで、2羽の姿を目にすることができました。ササゴイやヨシゴイなどと同じ「ゴイ」の名が付される仲間の中で、棲息環境が大きく違うこともあり、どことなく神秘めいて見えるのは、私の思い過ごしでしょうか。
ミゾゴイ ミゾゴイ ニホンカワトンボ

再びコマドリの渓間です。
その後もコマくんは、実に精力的に鳴き続けます。渓間に響き渡る声を離れた所から聞くと、さすがに日本三鳴鳥(誰がそうと決めたのかは定かではありませんが)の一つだわいと感心したくなるほど、よく響き、よく通る声で堂々と己の存在を主張する姿が浮かびます。ヒンカラカラという鳴き声から馬のいななきを連想し、駒鳥という名を付した古人のセンスもよしとしたいです。
ところが今、ごく近くで耳にするその声は、これはもはや小鳥の声ではありません。あの小さな体でどこからその声量がと思えるほどの大音量が、原始の森に響き渡るのです。向こうで、これまた己の存在をこれでもかと主張し続けるミソサザイと、まるで歌合戦を繰り広げているかのようです。近くにいる私の存在を警戒することより、己の存在を目立たせることの方が、かれらにとり圧倒的に重要事であるかのように。

もう撮影はやめて傍らにカメラを置き、適当な石に腰かけ、左からコマドリが、右からミソサザイが発する懸命な歌声に私は聞き入りました。時期的には、もうとうに伴侶を得て子育てに専念していなければいけないのに、うまく雌と巡り合えないつらみを込めてなのか、かれらの歌声には余裕がなく、切なる願いを込めた凄みさえ耳に届いてきます。
ほとんど休むことなく歌い続ける彼らの声が、私の胸を打ちます。とり憑かれてしまった人のように、私はなおもかれらの声に耳を奪われ続けます。…

午後遅く、私は山を下りました。帰路、そちこちに咲く清新なヤマユリが、今日の日を祝福しているかのようでした。

(了)