≪スタッフ・有志の連載≫
 <第64回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第64回 春の儚き命たち(スプリングエフェメラル)
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春ですねえ…

春らしく、汗ばむような日と肌寒い日が交互にやって来るこの頃。それでも日照時間はどんどん延び、様々な花が一斉に開き、鳥は啼き、虫は目覚め野を山を飛び回ります。
そんな麗しき春を手放しに喜ぶのは、少々おめでた過ぎはしないかと危惧しないではないですが、陽気に誘われ野へ出てみれば、そこに広がる目も眩むようなの花々の色彩に、いっとき前後不覚に陥ったような感がされ、個人的な憂鬱も日本を世界を覆う憂鬱もどこか片隅へと追いやられて、さてそうなると景色を慈しむというよりは、なにやら茫然自失の体となってしまうのは、はたして春に潜む魔物のせいなのか…。

まったく個人的な話。2月からずっと花とメジロを追ってきたわけですが、桜が終わってしまえばもう春メジロとはお別れです。春秋のメジロ、夏のセッカ(最近身近なフィールドではほとんど見られなくなってしまいました)、渡りの鷹、秋のノビタキなど、鳥にまつわる好みがここ10年ほどは一定しています。よって春メジロが終わってしまうと、少々気力が削がれた状態がしばらく続きます。ペットロスならぬメジロロスとでも申しましょうか。それで映画を見たり美術館に行ったりと、他の趣味で気を紛らわせるのですが、そうこうしているうちにふと気づけば4月も半ば近くに。
寒桜とメジロ 同 左 陽光桜とメジロ

何気なくネットを周回していると、春の生き物たちの画が次々と飛び込んできます。花あり鳥あり虫あり…
そうだ! 今しか見られないチョウを見に行かねば。

生物界の中ではヒトはかなり長生きの方であるので、その尺度で他の生物を見ると、いかにも短いその命に憐憫の情を禁じ得ません。例えば虫。成虫になってからの命は短いものでは1日、長くて1シーズンといったところでしょうか。タテハチョウ・シジミチョウの仲間などでは冬越しして、春に再び飛び回る強者もなくはないですが、まあ少数です。
またモンシロチョウのように、早春から晩秋まで発生を繰り返す種がいるかと思えば、1年の内のほんの数週間だけ地上に姿を現し、そのうちあれ、どこへ行っちゃったのかな、となってしまう儚い種もいます。

まあ憐れに思ったり儚いなどと形容するのは、あくまで人間の側の一方的な思い込みであって、虫にとっては何万年も前から繰り返してきた生き方なのに違いありません。セミなぞは、5年も7年も(17年という種も)地中で過ごし、成虫になって懸命に雌を呼ぶことができるのはわずか3週間ほど。一生のうちの99%以上の時間を暗い地中で過ごさなければならないという宿命が憐れを誘うわけですが、考えてみれば人間がセミを目にするのは樹上で鳴く姿ばかりで、その様子を基準にしてセミの生を考えてしまうことに大きな誤りがあるわけで、ミミズやらトビムシのように、基本的に地中で生活する種なのだと思えば、その憐憫の情はまったく不要なわけです。

出現がごく短い種の話に戻せば、見に行きたいなと思ったけれど、時すでに遅く後の祭り、なんてことがこれまで何度あったことか。今季もまた遅参気味ではありましたが、フィールドでなんとかスプリングエフェメラルの一部を見ることができました。
アセビとコツバメ アセビとミヤマセセリ ショカッサイとツマキチョウ)

科学的には短い虫の命に憐憫の情を挟む余地はないのですが、それでも情で見る虫のそうした儚い(と思い込んでいる)生き方に、人は己の生を投影させては世をはかなんだりもするわけです。
「源氏物語」第52帖には『蜻蛉(カゲロウ)』のタイトルが付されていますね。「ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えしかげろう」の和歌にちなむとされています。また藤原道綱母(ふじわらみちつなのはは)による『蜻蛉日記』も平安中期古典の代表作となります。
このカゲロウ、学名はギリシャ語でephemeraで(その日1日)を意味するのだそうです。転じてエフェメラルは、短く儚い命を意味するようになったわけです。

もちろんスプリングエフェメラルはチョウだけに限らず、いろいろな生き物にもその名を付してみたいものです。
わけても丈の低い野の草花には、その健気な姿に惹かれてやみません。本当はしっかりと地中に根を伸ばし、宿根草として毎年同じ時期に顔を出す、とても強い生き物なのですけれどね。
フデリンドウ スミレの仲間 セリバヒエンソウ

セリバヒエンソウ(芹葉飛燕草)については、明治時代に東アジア南部から帰化した植物です。外来種については以前にも本通信に記したことがありますが、多くはその旺盛な繁殖力をもって在来種を駆逐してしまう恐れありと言われてきました。実際かつてのセイタカアワダチソウや、近年すごい勢いで数を増やすナガミヒナゲシのような例もあります。けれどもこのセリバヒエンソウは、個人的な感想ではここ数年の間にずいぶんあちこちで見るようなになった気がしてはいますが、特に恐れるほどでもないらしく、穏やかで愛らしき草花です。

チョウの外来種を一つ。朝鮮半島などに棲息するホソオチョウ。なかなか優雅なアゲハの仲間です。ただし、1978年に韓国あたりから持ち込まれて東京に放蝶され、その後東北から九州に至るまで放蝶と自然繁殖により増え続けている外来種であること。正に人為的な仕業でもって増え続けている、アカボシゴマダラなどと並んで「要注意外来生物」に指定されているチョウなのです。
そう聞くと、この優雅なチョウがなんだか悲しく見えてきてしまいます。 チョウに罪はないんですけどね。

4月も末になれば、チョウも草花もまた違うエフェメラルたちが出現してきます。また新緑の森に夏鳥も飛来し、賑やかな囀りを聞かせてくれることでしょう。
生き物に溢れる野原や森。それは健全な自然が残されていることを生き物たちが証明してくれていることに他ならず、それを確認できる歓びを味わいに、せっせと足を運ぶことにしましょう。

(了)