≪スタッフ・有志の連載≫
 <第65回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

────────────────
  第65回 茹で卵の殻をむく
────────────────

朝、出かけて行った家内が置いていった茹で卵の殻をむく。だがうまくむけない。昨日も同じようにむいたのだが、まだ温かったからなのだろうか、薄皮とともにきれいにむけて、赤子の頬のようなつるりとして弾力のある肌触りの茹で卵をしばし眺めるようだったのに、今日のこれときたら…。
殻に白身がくっついてしまう有様に次第に苛立ちを覚えながらも、殻を取ることに集中する。なんとか2/3ほどまでむけたところで、ふと猫のことが頭をよぎる。私は手を止めて、何もない虚空を見るでもなくそこに視線をさまよわせながら、ただぼんやりと猫のことを思う。

昨年の5月、20歳になる飼い猫が発作を起こし、玄関でもがきだした。ちょうど仕事に行く直前だったので、家内に電話をして急いで帰ってもらった。家内は以前に動物病院からもらった座薬を猫に注入し、その後病院に走った。その処置が良かったのか、なんとか一命を取り止めて家に帰ってきた。けれどもその後遺症は重く、寝返りもうてず、自力で水を飲んだり餌を食べることもできない。
年齢も年齢なので、こうした状態に陥ってしまった場合延命措置は行わず、そのまま見届けようとはかねてから話し合っていたこと。ところが四日が経ち、五日を過ぎても体は痩せてはゆくものの、呼吸は穏やかですぐに旅立つ感じはない。試しにスポイトで水を飲ませてみたら、なんと自力で飲み込むではないか。さらにとろとろの餌を注射器状の器具で与えると、やはりちゃんと飲み込む。
―この子はまだ生きたがってるのかな。まだ死ぬときじゃないんじゃないのか。
飼い猫の様子を見てそう言ったのは私の方だった。その日のうちに動物病院に行き、点滴を打ってもらい、以後1日3回、猫の体を横抱きにして水を与え、餌を与える日が続いた。

母と暮らす兄から電話があったのは、それから間もなくだった。介護施設にいた母が入院したという。翌日見舞いに行くと、入院して間もないのにとても小さくなってしまった母がそこにいた。担当医の話では、齢も齢なのでいつ何があってもおかしくはないとのこと。意識はあり少し話せたが、多くを聞き取ることはできなかった。
1時間ほどで病院を辞した。病院の広い駐車場の外れにニセアカシアの木が多くあり、まるで狂気のようにびっしりと白い花をつけている姿に少し気圧される思いがされた。

毎日毎日猫に餌と水を与えた。どのくらいの量をあげたらよいのかが分からず、与えすぎて吐いてしまったことも。ごめんよごめんよと呟きながら、吐瀉物を始末するのがやりきれなくて切なくて、胸がつまった。
2週間後、母は亡くなった。齢を考えれば大往生である。誰もがそう言った。その通りなのである。その通りなのだが、ついこの間、自分のことをさておき子どもは元気か、家族に変わりはないかと繰り返し呟いた母の言葉を今になって噛みしめてみるのである。母はいくつになっても母だったのだ。
私は虚空をにらむようにして、その気持ちと向き合った。

猫が上半身を起こすようになった。寝たきりの床ずれを心配し、毎日何度も体の向きを変えてあげてきたが、その必要がなくなった。そして1〜2日の練習の後、ついに自らの力で寝返りを打つようになったときは、家内も私も拍手喝采。こんな些細なことがこんなに嬉しいとは。
96歳だった母は逝ってしまったが、人間でいえば100歳の猫は生還したのだ。偶然と言えば偶然。でもなんだか入れ代わりのような気がされて…。無論猫は母の代わりにはなれないけれど。
その後も猫はどんどん回復し、自分で水を飲み餌を食べ、ついにはよろけながらも歩くまでになった。トイレにも自分で入り、朝ベランダに出て陽を浴びることさえする。動物病院に行くと、奇跡の猫です、私もあやかりたいようです、と褒められた。

母が逝ってから3週間後、あろうことか今度は家内の母が倒れた。すぐに駆けつけるも、意識はなく会話ができない。そしてさらに3週間の後、この母もあちら側へと旅立ってしまった。
家内も私もずっと前に先に父を亡くしていたので、二人とも親と呼べる人がいなくなってしまった。人の生き死には、事故や急病を除けばおおよそ順番である。こちらもいい齢なんだから、それは仕方がないのだ。この齢まで親が生きていてくれたことに、むしろ感謝すべきなのだ。分かっている。そんなことは分かっているのだけれど、今までそこにいた人が、その実体がこの世から消えてしまうということを受け止めなければならないのは、やはり切なく空しい。

葬儀が終わり家に帰ると、大人しく留守番をしていた猫が、ひと声ニャーと鳴いた。

成人した子どもたちが家を出てゆくのは当然のこと。それでも家には犬と猫がいた。どこでもそうだろうが、犬も猫も家族みたいなものだから、無論子どもの代わりにはならないが特に寂しいとは思わない。ただ、4年前に犬が先に逝ってしまった。こちらも16歳という高齢だったので、しかも最期は家内の腕の中で旅立ったので、悲しいけれどもやるだけやった、よく面倒を見たという点を合わせて悔いはない。
ところが犬がいなくなって暫くすると、あまり居間などに顔を出さなかった猫が頻繁に現れるようになった。生い立ちが少々不幸だったせいか、あまり人に懐かない、甘えない猫だった。世の中にはずいぶん人に懐く猫もいるので、そうした性質の猫なのだろうとずっと思っていたが、実は犬に遠慮してたのかも知れないねと家内と話した。時折りは私の膝に乗るようにまでなり、われわれと過ごす時間が以前よりずっと増えていった。

そうして静かに数年が過ぎ行き、しかし昨年の発作。けれども回復。数週間後にはヨタヨタながらも歩くことができ、私と家内と猫の平穏な日々が、再び戻ってきたのだった。あまり動けないことと、いつも視界のなかに猫を入れておきたくて、部屋(居間)の真ん中に猫の居場所をしつらえた。なにくれなく声をかけ世話をやき、猫も猫で年老いて気迫を欠いた姿であるにもかかわらず、じっとこちらを見つめて、ときどき甘えるような声を出した。
あるいは20歳を超えた今が、猫も我々も一番幸せな時間を過ごしているのかも知れないと錯覚してしまいそうになるほど、ゆったりと静かな時間が流れた。


なにごとにも限りだとか区切りというものがある。そして自然界も人の世も、いつでも無常である。いつまでも変わらずにとか、永遠にという概念は願望以外の何ものでもなく、何もかもが移り変わってゆく。

1年後、猫は逝った。
今度は発作らしきものはなく、ふと気づいたら寝返りが打てなくてもがいている。おや、変だなと思う間もなく猫は急激に容態を悪くし、自力で立てなくなり、ついで食べ物を食べなくなり、水も飲もうとしなくなった。
1年前のことがあるので家内と私はすぐには諦めず、翌日からまた以前のようにスポイトで水を飲ませ、とろとろの餌を注射器状のもので口に含ませた。初めはあまり反応しないので、今度こそ厳しいのかなとも思ったが、それでも根気よく与え続けると、3日目には少しづつ飲み食いできるようになり、その翌日には頭を起こすようになった。試しに水を顔の傍に置いてあげると、驚いたことに自力で飲み始めたのである。体を撫でれば、鳴き声まで出してくれる。なんとまあ生命力の強い猫なのだろう。家内も私も、また奇跡の猫が復活しそうだと目を輝かせたのではあった。

けれども翌日、再び動きをなくした猫は、もう頭を起こすことはなくなってしまった。餌にも水にも反応せず、意識があるのかどうかさえ、はっきりとしなくなった。
3日後の朝、先に起きた妻が私の元へ来て、猫が冷たくなっていると私に告げた。

葬儀を行う前の晩、一緒にときを過ごした息子たちが別れを告げにやって来た。猫が特によく懐いていた気持ちの優しい三男の目に涙があふれたとき、家内も泣いた。
数日後、買ったばかりだったの猫用の砂(トイレ用の)は、同じく猫を飼っている方に差し上げ、老猫用の餌は、同じく年老いた猫を飼っている方に差し上げ、段ボールでこしらえた猫の居場所などを始末すると、居間だけでなく家中がががらんと広くなった。その広さが、家内と私にできたココロの隙間をより広げるようで落ち着かない。朝目覚めたとき、出先から帰って来たとき、猫がいないことに改めて気づかされる。仕事で帰りが暗くなってしまうから、居間の電気を消さずに出かけていたのに、もう点けておく必要もない。

そして今度こそ、家には家内と私だけが残された。…

猫がいなくなって2週間ほどが過ぎた。
今朝もまた茹で卵の殻をむく。うまくいかない。昔だれかに教わった方法を試みるも、うまくむけない。かすかな苛立ちが私を襲う。するとまた、なんの脈絡もなく猫の顔が浮かぶ。それも若く元気なころの溌溂とした姿ではなく、年老いたけれど、まるで人間のようにその分丸くなって素直に甘える、毛づやも失われた老猫そのものの姿なのだ。
そこで私は気づいた。二人の母が逝ってしまった代わりに、猫は奇跡的な復活をとげて1年もの生き続けてくれた。もしかしたら二人の母が猫の命を長らえさせてくれたのかも知れないと漠然と思っていたのだけれど、そうではないことに気づいた。
違う! 猫は母たちの身代わりなどではない。二人の母を同時に失って、その上自分がいなくなるわけにはいかないと、それでは家内も私も悲し過ぎるだろうと、猫は必死で生きようともがいたのだ。自身のためでなく、我々のために猫は生きたのだ。そして1年を経て、もういいかな、もう大丈夫かな、自分も少し疲れたかな、といってあちら側に召されていった、そうではなかったのかと。そうでなければ、21歳の齢を数えるまで生きられるものではなかっただろうと。

私は猫の名を声に出してみる。もちろん返事はない。もう一度呼んでみる。返事はない。
私は再び茹で卵にとりかかった。はたして茹で卵は、うまくむけない。

(了)