≪スタッフ・有志の連載≫
 <第66回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第66回 晩夏に寄せて
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飼い犬が数年前に、そして飼い猫も今年あちら側に召されてしまい、家中に憂いがなくなったものですから、この夏はずいぶんあちこちへ出かけたものでした。北海道で五日間も鳥を追い、信州で花のガーデン巡りをし、山中湖でカヌーを漕ぎ、さらに10数年ぶりに3,000m近い北アルプスの高みを目指すという、謂わば暴挙に近いような己が振舞いに、我ながら呆れるようでした。まあ、お陰でというべきか、高山の岩稜に咲く花をたくさん目に焼き付けることができたのは、山登りのとてつもない疲労感を凌駕して余りある、至福そのものだったと言えましょう。
ただ、そうした遊び歩きが、どうも「アリとキリギリス」のキリギリスになってしまったような、ちょっと後ろめたいような…。元々の貧乏性にくわえて、少しの贅沢にすぐ自分を責めたくなる、そんなんでいいのか? 勤勉なアリくんに叱られるんではないか? などと思ってしまう気の弱さが頭をもたげてくるのは、自分の器の小さいところでしょうか。そんな反省を踏まえてこの頃の休日はといえば、遅く起きてゆっくりと朝食をとり、新聞を隅々まで眺めまわし、昼前ごろようやく家を出てごく近所の花やら虫やらを見ています。もっともこれはこれで、お金こそかからなくともけっこう贅沢な時間のような気もしますが。

折りしも夏が終わろうとしています。晩い夏の野に出てみると、なんだかちょっとやるせないようなな思いが寄せてきます。晩夏とはいえ野に出れば、残る暑さに汗が滴り、これがたとえば初夏ならば、汗さえも爽快に流すこともできそうですが、いまは夏の初めのように気持ちが浮き立つことはありません。滴る汗も、同じ汗ではないのです。暑さに倦み、夏の疲労が滓のように蓄積されているいま、野に出る気力や動機もあまり見当たらないのが普通です。
もっとも人には(自分には)妙に捻じ曲がったところがあって、草木が茂るだけ茂って、もうそのピークを越えて少々くたびれた緑色を身にまとった晩夏の野や生き物はどんな様子なのか、あえて見に行ってみようとする、謂わば逆説的な欲求が頭をもたげてくるのです。
健全な肉体に健全な精神が宿り、規則正しい日常生活を送ることで破綻のない人生がおくれる…。う〜ん、その通りでしょうしそのことに異論を挟む余地もないのですが、そこに隙間や余白がなさ過ぎて、ちょっと窮屈な気がします。会社を終えて毎日真っ直ぐ家に帰れば、家人も不満に思うことも少ないのでしょうが、会社と家の間にちょっと余白が欲しいと思うのは、謂わばサラーリマンの自己防衛本能からくるものではないかしら。ただそのことを家人にはうまく説明できないので、二言三言苦言を呈されても、ああとか、うむとか返す他はないわけです。

車のハンドルの遊びの例は古くから言い表されていますが、遊びなくきちんと作られ過ぎたハンドルがかえって危険だというパラドックスは、実は人生のあちらこちらに遍在しているようなのです。私なんぞのように遊びが過ぎる、余白だらけの生き方をしてきた者に何かを語る資格もないようなものですが、人が見たら合点がいかぬ、矛盾とさえ言いきれるような行いを、ときとして人は指向してしまう、説明できない「性(サガ)」のようなものに支配されることがあるようなのです。土砂降りの雨の中を出かけてみたくなるとか、もうすぐ世界が終わるかもしれないときに釣りに行くとか、身の危険さえ感じさせる猛暑日、鳥も虫もまず見られないだろうにのこのこ出かけていくとか、酔狂なんて言えば少しはカッコもつきそうですが、なんのことはない、ただの衝動バカとでも言いましょうか、もう救いようのない行いに走ってしまうことが、実は賢者愚者を問わず、まるで魔が差したかのようにあるのです。(多分)
もしかすると堅実に生きてきた人ほど、そんなパラドックス志向を内に強く秘めているのではないかしら。
とまあこんな屁理屈を前面に押し出し、そうした内なるその声にしたがって、それでは野に出かけましょう。

8月の旧盆を過ぎた時季、花はあまり多くありません。じりじりと焼けるような残暑のさなか、森や野原の草木は猛々しく茂り、ましてブタクサなどが見上げるように繁茂している姿に直面すると、ブタクサに罪はないのでしょうけれど、その遠慮のない苛烈な繁栄ぶりには目を背けたくなります。ブタクサのみならず、足の踏み入れようがないほど生い茂る草の濃い緑の波を前に、気分は萎えるばかりです。
汗が滴り、虫除けスプレーなどものともせず藪蚊が襲い来るのを振り払いながら、逃げるようにして歩く己の姿があまりにみっともないのがよく分かるので、なんだか情けなく、身も心もへなへなとなりそうです。
それでもきれいな花やら気の利いた虫でもいれば汗のかきがいもあるのですが、あれほどいた虫たちはいったいどこへ消えたのかと思うほど、8月の暑熱を避けた彼らは表に姿を現しません。ああ、自分は何しに来たんだと考えざるを得ず、いっそう情けなさがしみてきます。

待て待て。世は捨てる神ばかりとは限りませんぞ。おお、ちょっと遠いけれど、小さな紫色が垣間見えるではないですか。あれはアキノウナギツカミ、ヌスビトハギ、それにツルマメのようです。それら小さな小さな紫色が初秋の訪れが近いことを告げてくれているようで、沈みこんだ私の気持ちに少しだけ涼しい風が吹き込んできたような気がされます。
アキノウナギツカミ ヌスビトハギ ツルマメ

虫が見られないと記しましたが、ヤンマの仲間などは、特に猛暑日などでは午後は暑さを避けて日陰で休息している姿を探すことで見つけられることもあるのです。猛暑日に出かけるのも相当勇気のいることなのですが、こんな大きなトンボを見つけられれば、なんだかずいぶん報われるのです。現金なものですが。
マルタンヤンマ♀ ネアカヨシヤンマ♀ コヤマトンボ

虫にさほど関心がなければ、上の3種のトンボの名を知らない方も多いことでしょう。でもこの3種、大遠征して手間ひまかけて撮影に至ったというのでは全然ないのです。それどころか場所を言えばだれでも知っているであろう、ボート池もあるようなごくごく身近なところなんです。
ヤンマの仲間って、だいたい午前中や夕方は池周りをブンブン高速で飛び回っていますから、種類も分からなければ余程の達人でない限りそれを写真に収めることなんてほぼ不可能です。でも、暑い日の午後は暗い林でじっと休息するという習性を知っていれば、なんとか収めることができるんですね。

鳥もそうですが、虫や花のなかには地域限定の種ってかなりあります。北海道や沖縄に行かなければ見られない鳥や虫がいます。高山植物は高山に咲きますから、山を登らなければなりません。普段見られないだけに憧れもし、いつか会いに行きたいという思いが募ります。
その一方で、ごく身近な自然に目をやれば、つい見過ごしがちな季節の移ろいやいろいろな生き物の消長に気づきます。蝉ならば、7月の初旬ごろからニイニイゼミが鳴き初め、8月が近づけばアブラゼミやミンミンゼミが歌い出します。夕方になれば、雑木林の暗がりからヒグラシの声も届きます。旧盆を過ぎた頃、主役はツクツクボウシにとって代わり、雑木林に近づけばそれらの蝉たちの大合唱が聞こえます。鳥も虫も年々減少気味だという話を聞きますが、セミはどうでしょうか、あまり減っていないように感じられます。ミンミンゼミなどは、むしろかつてより多いのではないでしょうか。関西メインのクマゼミも、昨今では都内でずいぶんその声を聞くことができます。
蝉の例はとても身近なので、そんなこと知ってるよとおっしゃる方が多いことでしょう。では例えばイトトンボはどうでしょう。地元の自然公園で毎年観察を続けていますが、今年はどの種も少ないように感じました。ウシガエルがだいぶ増えているので、その影響があるのかなとも思います。来年も同様に観察を続け、本当に減少しているのかを見てみようと思います。

ことほどさように自然に接する・見るということは、そのあり様でいかほどにも深まってゆくと思うのです。と同時に、季節による微妙な変化を体感することで、己の気持ちも微細に感応し、移り変わってゆくことを自覚できるのです。季節を分ける二十四節気は、その季節の移ろいをほぼ2週間おきに分けて名を付したものです。秋ならば8月7日頃の「立秋」に始まり、以下「処暑」「白露」「秋分」「寒露」「霜降」と進みゆきます。これだけでもずいぶん細やかな季節感の移り変わりですが、驚くのはさらに5日置きに区切る七十二候まであることです。例えば白露(9月8日頃)から秋分(9月23日)までの間に「草露白(くさのつゆしろし)」「鶺鴒鳴(せきれいなく)」「玄鳥去(つばめさる)」という三つの候が挟まります。それぞれ初候・次候・末候と呼びます。
それにしてもなんとまあ細やかなこと。この七十二候、元々は古代中国で考案されたものを、日本の気候風土に合うように江戸時代に改訂されたものだといいます。
オミナエシとイチモンジセセリ ヤマハギ クサギとクロアゲハ

北海道や沖縄や、果ては海外まで足を伸ばしていろんなものを見たいものですが、でも身の回りのほんの少しの自然の変化に目をやるだけでも、そして鳥や虫や空の色や風の方向のの移り変わりに気づくだけでも、なんだかとても豊かな気持ちになれるのは、きっと私だけではないと思います。
晩夏は、ちょっと物哀しい季節のような気もされますが、それでも昨日と今日と明日とでは、ほんの少しずつ、それこそ畳の目一つ分かも知れませんが、でも確実に季節は変わっていっているのです。暑くて汗にまみれてもいい、その変化を見にせっせと野に出かけるとしましょう。そうこうしている内に、あっという間に虫の季節が終わってしまうのですから。

晩い夏の身近な生き物たちを。
ギンヤンマ ペア ミズヒキとナツアカネ エノコログサとキアゲハ

(了)