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では、論文とはどういうモノか。 多くの人は、活字になっていると信用します。これは、かつては本にするためにはお金がかかるし、それなりに名をなした人しか本を書くことができなかった時代があったために本に書かれていること=活字は正しいと思われているからです。また、現在でも本を出すためには複数の人が目を通し、間違いがないということで出版されているという前提があります。たとえば、私が原稿を書き出版社に渡せば、そのまま印刷されることはありません。少なくとも担当編集者が目を通し、論理的な矛盾がないか、誤字脱字誤変換がないかチェックします。大手の出版社になると校閲の担当者がいて、かなり厳しいチェックが入ります。自分の書いた原稿をチェックされるのは正直言ってあまり気持ちよいものではありません。鳥のことを知らないのに、勝手に原稿を直されるのは不愉快なときもあります。そうかと思うと、気がつかなかった指摘を受けて驚くこともあります。K社の校閲さんは、私があげた19世紀の論文の年号が違うと指摘してきたことがあります。これには、驚きました(実は、2編あったので痛み分けです)。こうして、複数の目でチェックをしても、誤字脱字誤変換はあるのですから怖いものですし、出版されている本の中には内容が怪しいモノが多数あるのはご存知のとおりです。 これに対し論文は、一般の書籍とは比較にならないほど厳しいチェックが行われます。編集者に変わる立場の人を"レフリー"と呼んでいます。まるでボクシングの試合のようですが、研究者にとってはまさに戦いです。おおむね博士クラスの方、複数が担当して目を通します。直される以前に、論文として認められるか、掲載されるかという第1関門があります。ときには、データの見直しなどを指摘され、改めてデータを取り直すこともあります。この時のレフリーの先生の視点は、客観的な事実に基づいているか、憶測や想像、思いこみによる事実誤認がないか、というのが大きなチェック・ポイントとなります。 論文と言えども、人のやることですから時には間違いもあります。鳥の世界では聞いたことはありませんが、無断盗用から盗作、そして事実の誤謬といった間違いがあるのです。ちょうどこの原稿を書いているときに、韓国でES細胞のねつ造問題が話題となりました。これは、アメリカの『サイエンス』という雑誌に投稿された論文がねつ造だったことがわかったのです。論文といえどもねつ造は可能であるのですが、疑問が生じた場合、検証することができる内容であることが論文の真骨頂なのです。ということは、あとで疑問が生じた時に、もう一度追試できるような記述でなければ、論文としての価値がないことになります。 論文は、それでも無審査で印刷されていく多くの本やインターネットの掲示板に書かれているレスに比べれば、はるかに信頼のおける記述であることは間違いありません。 |