|
─────────────────────────
第1回 サラリーマンからペンションのオーナーに
─────────────────────────
「今日はもう来ないのかな」。朝からラウンジに三脚を立てて、今か今かと待ち構えているお客様の間に、なんとなくあきらめの空気が広がり始める。一方、気が気でないのは宿の亭主の私。せっかく遠くからあの赤いのを目当にはるばる来てくださったのに、それが徒労に終わったらなんだかこちらが申し訳ないような気持ちになる。その気持ちを察してか、「いやあ、私なんかお目当に会いたくて、東京から熊本まで飛行機で二度通って空振りで、ようやく三度目に見ることが出来たくらいですから、いきなり最初から見れるとは思ってはいませんよ」と逆に慰めてくださる方もいらっしゃる。待っていらっしゃるお客様にとってせめてもの幸いは、薪ストーブの暖かい室内で待てること。マイナス10度の屋外で足踏みしながら、人によってはタバコで暖を取りながら待つことは無い。(アダージオの館内は禁煙ですが)いきなり誰かの「来た来た!」の声。途端に室内はあわただしくなる。やっと来てくれたオオマシコが。今日はオスが3羽とメスが2羽。少し少ないなと思いながらも、一転明るい雰囲気のラウンジと興奮気味にカメラを構えていらっしゃるお客様を見ていると、よかったよかったとホッとした安堵の気持ちになる。「これでお客様に満足してお帰りいただける」
そうなんです、蓼科の私達のペンションには、冬になるとオオマシコが来てくれるのです。(来ない年もありましたが)葉が落ちて冬枯れの木立の中であの赤い色は良く目立つコントラストでもあり、単調な冬の山の暮らしにとっても色々な意味でインパクトを与えてくれる存在です。蓼科に来るまではモーレツサラリーマンで、鳥といえばスズメとカラスくらいしか知らなかった私が、どういう経路で蓼科にたどり着きオオマシコと回り逢ったのかまずお話をいたしましょう。
遡ること7年前の1999年秋、当時まだ勤めていた会社からの派遣で勤務していたアメリカ現地法人のオフィスに、東京の本社からの定期的な連絡書類に混じって一片の通知が入っていました。曰く"今やめると退職金を少し割り増しして払う"と。いわゆる「早期退職優遇制度」というやつです。ご丁寧に、個々人宛に実際にいくらくれるかまで書いてある。単なる通り一遍の通知だったら見向きもしなかったかもしれないが、事実一応米国駐在員として仕事も持っていたし、帰国してからもやって欲しい仕事があるとささやかれてもいたのだが、具体的な金額を突きつけられると、寛一・お宮ではないけど"お金に目がくらむ"。
もともと、年をとったら都会には住めなくて山で暮らしたいと思っていた。加えて大体50歳くらいになると、このまま会社に定年までいてもどんな会社人生になるかの見極めはおおよそ付いてくる。それに帰国したら、あの過酷な通勤地獄。「もしかしたら潮時かな」と思い始めた。
そこで女房殿に相談した。「今やめると少し余計くれるようだし、前から思っていた山の暮らしを少し早いけど始めたらどうか。山の暮らしといっても、働かないと食っていけないからペンションでもやろうかと思っている」と。女房殿は性格的には明るく社交的で、アメリカでも自宅にお客様をお招きしてもそれなりにおもてなしをしてくれるし、お料理もお客様にまずまず喜んでいただけるようなものをつくれる。ただ日本的な意味でサラリーマンの女房としてはまったくダメ。このままサラリーマンの女房で終わらせるよりは、もう少しこの人の特性を活かした生き方もあるのではないかとも思った。案の定、「あら、いいわね。やってみましょうか」だ。そもそも普通のサラリーマンの奥さんなら、「あなた、そんなこと言わないで、確かに会社に不満があっても我慢して定年まで勤めれば、安定した老後も待っていますのに。」という所なのにそうでない。すぐに乗ってきたのを見ても、これは彼女にとっても正しい提案だったと改めて思った。
というわけで、翌2000年3月に帰国してそのまま定年まで後8年ほど残して会社を退職することとなった次第。
さて、ペンションを始めるにはまず物件を決めなければならない。幸いにも世はインターネットの時代。ペンションの類を専門に扱う業者のサイトで、アメリカにいてもある程度の物件の下調べと絞込みが出来る。それをもとに実地検分をする事になる。まだアメリカにいるとき、一度だけ週末を利用してとんぼ返りで見に来たこともあった。金曜の朝向うを発つと日本着は土曜夕方。日曜に物件をみてその日の夜日本を発つと向う着は日曜の午後。翌日は何食わぬ顔をして出勤したことだった。
蓼科高原
ヒルサイドイン アダージオ 松尾 信孝 http://www.adagio-nagano.com/
|