≪野鳥観察情報≫
   バードウォッチングのミカタ
 ======== by 松田 道生さん
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  第5回 先生、長すぎます
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野鳥録音の大家、蒲谷鶴彦先生がお亡くなりになって1年が経ちました。ご命日は1月ですが、『天国の蒲谷鶴彦さんと野鳥の声を聞く会』を市ヶ谷の私学会館で3月に催して1年となりました。

先生は「亡くなったら葬式はしなでくれ、お別れの会もしないでいい、どこかに録音旅行に行っていると思っていて欲しい」と、生前つねづねおっしゃっていました。そのため、会は遺影も献花もなく、パーティの雰囲気にしました。おかげで久しぶりにあった鳥仲間たちが、あちこちで昔話に花を咲かせて同窓会のような会でした。葬式ならば懐かしくても盛り上がることのできない雰囲気ですが、この会では遠慮なく皆さん楽しんでいただけたことと思います。それ以上に、天国から皆の楽しいそうな様子をご覧になって先生自身が一番楽しんでいたと思っています。たーぼ♪さんやpouさんも列席していただきましたが、いかがだったでしょうか。正直、私自身も楽しませてもらいました。

蒲谷先生の鳥歴は70年にならんとしていますから、そのお仲間は大先輩です。先生の世代は、中西悟堂が戦前に日本野鳥の会を起こし、そして戦中戦後の動乱期にもかかわらず、日本野鳥の会の運動を消すことなく継承してくれた人たちです。事務所はもちろんなく、主要メンバーの自宅に集まって打ち合わせをしたり会報の発送を行った時代です。もし、彼らがいなければ日本野鳥の会の火は消え、現在のようの安穏とバードウォッチングを楽しんでいられたかわかりません。戦後、食べるもののない時代のなか、野鳥の素晴らしさを伝承しようと努力された諸先輩の話は興味がつきません。

なかでも、蒲谷先生は野鳥録音を通して戦後のバードウォッチングに貢献した業績は大きなものがあります。野鳥の声は、図鑑に書いてあるカタカナ書きではとても伝わらない複雑かつ絶妙な音です。野鳥は警戒心が強く、近くで録音することはなかなできません。

野外へ持って行くことのできる録音機の無かった時代に自作をしての録音から、当時のサラリーマンの年収に相当する金額のドイツ製の録音機、板金屋に作らせた大きな集音器、これら自分の体重以上の機材を担いでの録音行、今思えば想像のできない苦労の連続です。その成果は、レコードやCDして音の図鑑とし発表されました。そして、何より文化放送の『朝の小鳥』を55年間、14,000回以上も放送さらた功績は今後も破られることはないでしょう。この鳥はこう鳴くという、今では当たり前のことですが、日本の鳥のほとんどについて確認してくれたことになります。故・高野伸二さんの姿による野外識別と蒲谷先生の声による野外識別の知識があって、戦後日本のバードウォッチングの発展があったといっても過言ではありません。私たちは、あまりにも当たり前になっているこの空気のような存在の知識があってこそ、現在バードウォッチングを楽しめるのです。

葬式をしていないせいか、先生がときどき亡くなっていることを忘れます。もう、先生がいないんだと感じるのは、録音した音を聞いてもらえない時です。

昨シーズンは、念願のアカショウビンやサンコウチョウが録れました。ご存命のときならば、ご自宅にお伺いして聞いてもらい「よく録れたね」とか「いい音だね」と感想をいただき、それを励みにまた出かけたものです。そういえば、あまりけなされたことはなく、だいたい誉められてくれました。その言葉に乗せられて録音に励んでいたようなものです。それが、ないのがいちばん寂しいと思います。

録音仲間と念願の鳥を録音できて、帰りの車のなかで「これ、先生に聞いてもらいたいね」と言って、思わず目頭が熱くなってしまいました。

今回の先生の録音旅行は、長すぎます。