≪スタッフ・有志の連載≫
 <第6回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第6回 グリーンフィールド
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日常性とマンネリの深い沼にどっぷりはまり、もうすっかり摩滅しかけている想像力をダイレクトに突っつくよ うに、渡って来て間もないオオヨシキリが、早くも葦の穂先で囀る…、というより大声でがなり立てている。――おうおう、今年も来てくれたか。にしても相変わらず元気だのう。オオヨシキリの懸命な姿に、まるで手塩にかけて育てた田畑を見つめる好々爺のように目を細める私。

春に田おこしされた田圃に連休を前後して水が引かれ、そして代かきを経て今年も田植えが始まりました。代か きされた田圃にはミミズやら水棲昆虫やらザリガニやらが、本当に不思議なんですがどこからともなくやってきます。するとそれを目当てに、遠い南の地で冬を過ごしていたシギやチドリが、今年もまた命がけの旅を経て、この日本の田圃に休息と栄養補給のために立ち寄ったり、あるいは当地で繁殖をするためにやってきます。同じ頃、田圃の畦道やその周辺の土手、また休耕田などは葦や様々な野草の緑で覆われます。

草木が萌える、その淡いグリーンは生まれいずる喜びの色だとすれば、やがて若葉となり青葉となり、野を山を 包み込むグリーンは、はじける命の輝きと漲る力の色。清新で潔く、迷いがありません。光合成を行い栄養を蓄え、食物連鎖を下支えし、あらゆる命の源となるそれらのグリーンが、この田圃と周辺の環境にあまねく広がり、それは多くの草原性の鳥をも呼びます。ヒバリが舞い、セッカは縄張りの順回に手を抜かず、そちこちからケンケーンとキジの雄たちの、わが身の存在を主張する声が届きます。通過中のノビタキがふっととまり、そして先述のオオヨシキリが辺りを賑やかします。

5月の暖かく穏やかな陽射しの下、私はそんな田圃と周辺の環境から放たれる様々な生命の息吹を五感で受け止 めながら、ゆったりと畦道を歩きます。と、田植えを終えたばかりの早苗の間を歩くシギがいます。田圃のシギとしてはここでは一番数の多いムナグロです。夏羽のウズラシギも1羽ゆったりと採餌しています。さらに歩きます。今度は、ハルジョオンの花を前後に、二羽のチュウシャクシギがのんびりと寛いでいます。ジシバリの黄色の花をしたがえて歩くのはアマサギ。その向こう、野の花に囲まれながら採餌しているのはチュウサギでしょうか。

辺りに鳥たちの声が響き渡り、甘やかな皐月色の風が吹き薫る。早苗や葦や若草の瑞々しいグリーンに囲まれた この季節のこの環境は、幼いころ田圃と雑木林で夏を遊んだ私にはとても馴染み深く、いわば私の“原風景”とも呼べる景色なのです。それゆえここは、いわば私のココロの揺りかごですから、私は深く暖かく、限りなく優しくこの景色に包みこまれてしまいます。至福といえば少し大げさですが、私はここで深い安堵感に包まれながらときを過ごすことができます。

再び畦道を歩いていると、奥の葦原のほうから「コーコー」という、雌が雄を呼ぶ独特の鳴き声が聞こえてきま す。ああ、今年も来てくれたんだな、でもやっぱり姿は見えないのかなと思いながらも、何人かいるカメラマンのもとへ行ってみました。すると、距離はありますが、雄と雌の二羽ともが姿を見せてくれています。

鳥の名はタマシギ。雄よりも雌のほうが派手で、かつ雌は卵を産むだけ産んで、子育てはすべて雄が行うという 珍しい繁殖形態をもつ鳥です。したがって求愛ディスプレーも雌がしかけ、卵を産み終わるとすぐに巣を離れて別の雄を探すという、セッカやオオヨシキリが一夫多妻なのに対し、こちらは典型的な一妻多夫の鳥なのです。実際、よく観察していると、おずおずと近づく雄に対し、盛んに翼を立ててディスプレーする雌の姿を頻繁に見ることができました。タマちゃんパワー恐るべし!

かつて、同じ市内の東部の田圃に隣接する雑木林に、壮大なサギのコロニーがありました。その歴史は古く、江 戸中期の享保年間、八代将軍吉宗の頃には営巣が確認され始めたといいます。その後サギは増え続け、1957年には巣の数6,000、親鳥の数10,000羽、親子合わせると実に30,000羽のサギを数えたといいます。種類としてはコサギ・チュウサギ・ダイサギ・アマサギ・ゴイサギなどです。市内の小学生の遠足先にもなり(事実、私も確か4年生の時に行きました。営巣地の林の梢はまさにサギだらけで、林内はサギの鳴き声と糞とその臭いに満ち満ちていて、空恐ろしささえ感じたほどでした)国の特別天然記念物にも指定されました。

しかしながらその後急速にサギの数は減り、わずか25年後には一つの巣も確認できなくなり、250年にもおよ ぶその歴史は幕を閉じたのです。原因は特定できないのですが、農薬の使用・住宅地や道路の建設と、それにともなう採餌地としての水田の減少が考えられるようです。天然記念物にこそ指定はされていたものの、高度経済成長期にも重なったこの時期は、経済性・利便性が最優先され、環境への配慮などは薄く、生物多様性の概念などまだ存在しない時代だったのです。サギだけでなく、田圃からは水棲昆虫・ザリガニ・タニシ・カエル・ドジョウ、水路に住むメダカ・フナ・モツゴ等の生物もことごとく数を減らし、サギたちは営巣しないばかりか、生き物の影がうすい田圃に採餌に来ることもなくなったのです。

時を同じくして、かつては日本の各地で見られたトキなども数を減らし、結局日本産のトキが絶滅したことは周 知の事実です。高度経済成長は同時に四日市喘息や水俣病などの公害も引き起こし、この時期の日本は、人間にとっても色々な動物にとっても暗黒の時代だったといえましょう。ことの重大さに気付いた政府は、1971年に当時の「環境庁」を発足させ、ここで漸く環境問題に真剣に取り組むようになりました。以来40年の間、公害だけでなく、農薬・大気汚染・地球温暖化と次々と顕在化する問題に取り組み続けてきました。色々な規制が法制化され、人間活動の生物への影響の大きさにつき、私たち一般の人々もあまねく認識するようになりました。

排出ガス規制など、いま直面している問題も深刻でかつ急を要するものですが、それでもかつて何もいなくなっ た田圃に比べれば、使用農薬の規制の強化が実を結び、田にはカエルやドジョウが、畦にはアマサギなどが好むバッタ類が随分戻ってきました。するとそれに呼応するように、サギたちも徐々に田圃に姿を現すようになったのです。

そんな風に振り返ってみれば、いま、目の前にある美しいグリーンフィールドは、昔から何事もなく綿々と受け 継がれてきたわけではなく、人の無知と欲望の深さから一度は“ダメ”になった、そこから復活してきたのでした。そのことを考えると、たとえ一本のタンポポ、一本のハルジョオンでさえ踏みつぶしたりおろそかにしてはならないと思うのです。田圃は決して雄大で手つかずの自然ではない、人の手による二次的な自然ではありますが、生き物たちはその環境を好んで集まるのだし、私はその生き物たちを含めた自然と遊べるのですからそのことに、そして田圃が経てきた時というものに思いを馳せてみると、改めて目の前のグリーンフィールドが、苦難を乗り越え、やがて祝福された約束の地のように見えてくるのです。…

午後になり、鳥の動きも一段落のようです。ダイサギの舞ををカメラに収めたのを機に、今日の鳥見は終了です。 ふと見上げると、チョウゲンボウが気持ちよさそうに、青空を背にホバリングを繰り返していました。

(了)