≪スタッフ・有志の連載≫
 <第7回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第7回 セッカ通信
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夏はセッカだ!
誰が決めたのでもない、夏はセッカなのだ!

は? セッカ?
あのちっぽけで地味で、ヒステリックにヒッヒッヒッと空を飛んでいたかと思うと、なんだか狂ったようにジャジャ、ジャジャと急に鳴き声を変えて急降下してくる、あのセッカ?
かなり距離を置いて見てるのに、どうかするといつも不機嫌そうな顔でこちらを睨みつけてくる、縄張り意識が強烈なあのセッカ?

はは、そうさ、そのセッカさ。しかも口の中は真っ黒。色は草原性の鳥に共通の地味〜な茶色と、あまり取り柄らしいものが見当たららない、そのセッカさ。可愛らしい鳥、きれいな鳥、珍しい鳥、人気の鳥…。特に色分けする必要はないのだけれど、けれども一見こといった特徴のない鳥でもよく観察し続けていると、それぞれがそれぞれの魅力を備えていると思うんだよね。

さしたる特徴のなさそうなセッカが、実は強烈な個性の持ち主であることに気づくまで、この鳥を見始めてからさほど時間はかからなかった。枯れ葦や草のてっぺんにとまって羽繕いをしたり、辺りを睥睨するかのように見回しているのは雄。一夫多妻のセッカにあっては、巣を作り雌を呼び込むまでが雄の仕事。そしてそれを同時に何ヶ所かでこなす。その後の抱卵・育雛はすべて雌が行う。雄はその何ヶ所かの巣を天敵や他の雄から守るべく、来る日も来る日も、朝から夕まで、夏の暑さにも決してめげることなく鳴きながら上空を飛びまわり、パトロールを怠らない。

雄をずっと見ていると、その愚直なまでの勤勉さが少し哀れでもあり、しかしその勤勉さこそは、ここだけは決して譲らないという彼の強い矜持を思わせ、なればこそ、小さいながらも素晴らしい存在感を見せつける、それこそはセッカという鳥なのだ。

フィールドに着く。今日もセッカはヒッヒッと迎えてくれる。草地の角にデジスコを据える。光軸を整え、液晶を見ながら今日の光に合わせて絞りの設定を決める。花曇りだが、今日も暑い。持ってきた缶コーヒーや水筒を足元に並べる。それから折りたたみ椅子に座り、待つ。

5分もしない内にこの草地を縄張りとする雄がヒッヒッと上空を飛び、次にジャジャ、ジャジャと鳴き声を変えて下降してきたかと思うと、思いがけず近くの枯れ葦にとまる。まずはこちらへの挨拶か。いったん飛び去るものの、すぐに戻ってきたが今度は最も遠い所にとまる。けれども6月の田圃や休耕田や周りの木々はグリーン一色に染まり、そのなかで小さなセッカは実にしっくりと風景に馴染んでいるではないか。私はその姿を焼き付けるべく、無心にシャッターを押す。

いつしか私は、その雄と声なき対話をしている…

―お前、いつも元気だなあ。いつもいつも日がなそうしてヒッヒッって鳴いてるけど、セッカは声が嗄れるなんてことはないのかな。疲れるということはないのかな。

―ああ、君か、また来ているのか。ご苦労なこったね。そうだな、オレのように強い雄は声も嗄れないし疲れもない。声が嗄れ、疲れてパトロールができない雄は、所詮は縄張りの主にはなれんということだな。

―ふ〜む、そういうことかね。つまりきみたちの世界には“平等”という概念はないんだね。我々人間界だと、何をさておき人は皆平等だというふうに教わってきてるんだがね。

―平等? なにをバカなことを言ってるんだね、君は。オレたちが平等に縄張りを分け合ったりしたら、ほんの数年でオレたちは絶滅しちゃうことだろうよ。いいか、オレたちは自然のなかで喰うか喰われるかという、いつもギリギリの戦いの中で生きてるんだ。そのためにオレたちに必要なものは、強い体力・知恵・経験、そして強い意志なんだ。それらが備わっていないヤツは、この自然界ではやっていけないんだよ。だからそういうDNAも残してはいけないんだ。オレのような強い雄だけが何羽もの雌に子を産ませる資格があるんだ。その 代わりにオレは、巣と縄張りとを毎日命がけで守っているわけだ。

―そ、そうだよね。だからセッカはいまのところ目立って減っているという話も聞かないしね。雌の方もより強 い雄を選ぶのだろうね。

過日、別のフィールドにて。

懸命に餌を運ぶ雌の姿を観察する。当然ここにも雄はいるが、縄張りがあちこちにあるらしくたまにしかここへはやってこない。子育て中の雌を刺激するのはまずいので、遠くから観察する。

見ているとおよそ10分おきに雌は餌をくわえて飛んでくる。餌はアオムシ・コオロギの幼生・小さめのバッタ・クモ・ガなどだ。いったん枯れ葦にとまって辺りの様子を窺ってから、草地の中央付近にもぐってゆく。繰り返し繰り返し餌を運ぶその姿は健気で意地らしくて、その表情は、他のなにものにも比べようもないほど美しい。

ところが。

数日後に再びその草地を訪れてみると、付近でバリバリバリという大きな音がする。この草地は河川の土手のすぐ横にあるのだが、その土手の30pほども伸びた草を、市に委託された業者が機械を使って勢いよく刈っているのだ。巣のある草地を刈っているわけではないので、ここに巣があるからやめろと業者に言うわけにもいかず、その日はフィールドを後にした。数日後に行ってみると、青々と草が繁茂していた土手は当然丸坊主になっている。やれやれと思いながら草地へ行く。そこで30分ほども待ったが、ついに雌の姿は見られない。それどころかあれだけあちこち飛び回っていた雄の声すら聞こえてこない。 なんてことだ。ここは毎年ひと夏をセッカと一緒に過ごせる貴重なフィールドだったのに。土手の草を刈ったことがセッカがいなくなった直接の原因であるかどうかは断定できない。ただ、少なくとも無関係ではないだろう。生き物は環境の変化には敏感だろうから、きっと雌雄ともイヤ気がさして別の場所へ移ってしまったのだろう。

私の内を“虚しさ”という名の風が吹き過ぎてゆく。今年、もうここへセッカが戻ることはないだろう。来年また来る保証もない。そう思うと私はここの雌にどうしてももう一度会いたくなった。無心に餌を運ぶ雌の姿は、まるで生き物の原点を見るようだった。厳粛で、混じりけのない命の営みを見る思いだった。セッカはほかにもいる。でも私は、ここで、この目で見たあのセッカにもう一度会いたいと切に思う。

満たされぬ思いは、うまく流れない川の淀みのように、私の内に長く長く留まるのだった。

(了)