≪スタッフ・有志の連載≫
 <第8回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

─────────────────
  第8回 セイタカシギのいる風景
─────────────────

町のはずれ、巨大スポーツ施設のすぐわき、何年も続く周辺整備の工事のさなか、忘れ去られたような遊水池が 所在なげに点在していた。鳥友の話では、その遊水池に毎年のようにセイタカシギが来るという。が、工事が進み、いくつかの遊水池は埋め立てられ駐車場やオープンスペースになっていった。そして、かろうじて一つ残った調整池に今年もセイタカシギはやってきてくれた。

通常このシギは南半球では留鳥、北半球ではヨーロッパやアメリカ南部で繁殖する。日本では東京湾岸沿いでは 毎年繁殖が見られ、ほぼ留鳥となっている例もあるようだが、普通は旅鳥として各地に立ち寄るとされている。
ところが地元のこの遊水池では…。


例年より10日以上も早くに梅雨が明けてしまい、毎日のように猛暑日が続く。暴力的なまでに強い陽射しが朝か ら地上を熱している様子が目覚めた部屋の中からもうかがえ、その途端早くも気分は萎える。自然の中に身を置いて鳥を見たり花を眺めたり、そのフィールドの空気感を五感で受け止める喜び。他の3シーズンならばそんなことが楽しみでいそいそと家を出るが、今は無理だ。その喜びを求める気持ちも、暑熱がすべて奪い去ってゆく。最近の日本の夏の気候は、ほぼ熱帯に等しいくらいにむせかえるように暑く、へたをすれば生命をも脅かす、それほどの危険をもはらんでいるのだ。

にもかかわらず、それでも私は“彼ら”に会いたくて遊水池に足を運ぶ。…



遊水池を取り囲む土手の上に立つ。見渡すと、4羽のセイタカシギが思い思いに採餌している。ほかにコチドリ
が数十羽、コサギが10羽ほどそれぞれ浅い水の上を歩き、ツバメがひっきりなしに飛び交う。さらにイソシギが飛び、ハクセキレイの幼鳥が飛び、上空をキジバトとドバトが交互に飛ぶ。

週末には4万人以上の観客で賑わう巨大スポーツ施設のすぐわき、そんな環境下であることが信じられないような、もう数十年も前から周囲から隔離され、その時点から時が止まってしまっているかのような、どこか懐かしささえ思わせるその遊水池は、明るく穏やかな水面に、周囲の夏の緑を色鮮やかに映し出している。その水鏡に己自身をも映しつつ、セイタカシギや鳥たちがゆったりと時を過ごす。
個人的にこういうロケーションがとても好みだということもあって、私はその風景にのめりこむように鳥たちを撮る。


けれども暑い。
吹き出る汗で持ってきたタオルが30分もしない内に重くなってしまう。湿気を重くはらんだ空気は肌にまとわりつき、その不快感からはどうにも逃れられない。日傘を頭上に差しはするものの、あまり効果はない。
とにかく水分を補給する。喉が渇いてからでは遅いという。お茶やスポーツ飲料を2リットル用意したので、多分大丈夫だとは思うが、下を向くと額のあたりから汗がぽたぽた滴るので、なおも水分を摂り続ける。


なのに、そんなみっともない私を尻目に、セイタカシギは涼しげに立ち振る舞い、私を一層魅了する。とりわけ
必要以上(?)とも思える長い脚を持て余すようにゆったり歩を進め、あるいはフワリと飛びあがり着水するその姿は、例えば中世ヨーロッパの貴夫人の優雅な舞いを彷彿とさせ、典雅でシックで色っぽく、鮮やかである。

ところがこの日の昼近く、忘れられた遺物であったはずのこの遊水池に大きなショベルカーがやってきて、まる で巨大な生き物のようにうなりを発しながら、私のいる土手とは対岸の土手の一部を削り出したのである。
実はこの遊水地で、セイタカシギが繁殖をしているのだと鳥友から聞いていたのだった。しかも雛を抱いているらしき場所は、そのショベルカーがほじくり返し始めた、そのすぐそばらしいのだ。

結局この日、雛の姿を見ることはなかった。かといって、ショベルカーに驚いた親が営巣を放棄したようにも見えなかったのだが…。

数日後、どうなったかと再び遊水池へ。
幸いショベルカーは動いておらず、暑さで池の水の三分の二程が干上がってしまった以外は特に変化は見受けられない。ただしセイタカシギは足環のついた2羽だけがいて、他の2羽はいない。その2羽は、特に何事もなかったような様子で採餌している。
と、コサギが2羽、対岸の土手の向こうから飛んできて優しく着水する。するとどうしたことだろう、1羽のセイタカシギが迷うことなく曲がることなく真っ直ぐそのコサギたちに向かって飛んでゆくではないか。驚いたのは私だけでなく、コサギもそのようだった。私は慌ててシャッターを切る。

セイタカシギは脚が長いので比較的大きなシギに見えるが、こうして比べればコサギは己の2倍も3倍もある。そのコサギに向かって躊躇なくつっかかっていくということは…。

30分後、コサギもいなくなり落ち着いた水面に、前ぶれもなくセイタカシギの雛が2羽、草陰から現れた。近くにいる親たちに見守られながら、浅い水面を歩いて自分で餌を採っている。
―そうか、無事だったのか…
多分、前回ショベルカーが活動した時点でこの雛たちは巣立っていたのだろう。そして池の中ほどにある中洲のようなところに身を隠し、親が安全を確認できた状態でおもむろに雛たちが姿を現した、そういうことなのだろう。


遊水池に隣接する工事現場では、今日も7〜8台のブルドーザーが稼働している。こんな環境、こんな場所で営 巣し、ともかくも2羽のセイタカシギの雛が巣立ち、自分で採餌するまでに育った。彼らの生命力、生き抜く力を称えたいと思う。
そしてなにより、まるで己の優雅さを知っているかのように、遊水池を静かに歩む姿のたおやかさこそは、セイタカシギを、セイタカシギたらしむる所以には違いないのだろう。

遠くからとはいえ、いつまでも幼鳥を見続けるわけにもいかないので、私は暑い暑い遊水池を後にした。キュ キュっと鳴きながら飛ぶたくさんのツバメの声が、なぜか長く私の耳に残った。

(了)