≪スタッフ・有志の連載≫
 <第12回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第12回 梅、一輪
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12月にさしかかってもモンシロチョウが飛ぶほど昨秋はとても暖かったのですが、まるでその反動ででもあるかのように、クリスマス前後から日本列島はすっかり冬型の気圧配置が定着し、この冬はとても寒く、本当に冬らしい冬の日々が続きます。

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風が冷たい…

「探梅」は冬の季語です。年が明けていくらか日も伸びた頃、日照時間に反応してほころび始めるだろう梅を探して歩くという、本来なら外に出るのが辛い大寒の前後に、半ば"やせ我慢"をしながら一輪二輪の梅の花を求め歩き、そこに気の早い"ささやかな春"を見出そうとする、まことに小粋な季語であり、行動なのです。
江戸っ子は、例えば本当なら飛び上がりそうな熱い風呂に、そんな素振りを見せることなく涼しい顔で湯船に肩まで浸かり、べらぼうめぇ、熱かねえや、などとうそぶ嘯くのが彼らなりの美学のようです。あるいは大リーガーは、デッドボールを受けても、当りどころが悪くてこれまた飛び上がるほど痛くても、べらぼうめぇ、痛かねえや、と言ったかどうかは定かではないですが、とにかく痛そうな素振りを見せずに一塁に歩くのが、彼らなりの美学のようなのです。
その伝でいえば、冬ざれて、色味などどこにも見出せそうもない寒風吹き荒ぶ里を、一輪の梅を求めて彷徨うことも、江戸っ子や大リーガーの美学に通ずるものがありはすまいか。まことに他愛なく、意味もなく、ただただ見栄を張っているだけに過ぎないような気もされますが、本人はいたって大真面目、水っ洟をすすりあげながらあちらの枝に、こちらの枝にと視線を這わせながら一輪の梅を求める心意気や、いやいや見上げたものじゃございませんか。

で、ことのほか寒いこの冬ではありますが、例年ならば1月の中旬にはほころび始める梅の花を求めて、そちこちを訪ね歩いてみたのです。ところが案の定というべきか、開花はおろか蕾の膨らみすら見られず、虚しい思いだけを引きずり、すごすごと家に帰りました。
一度はフラレてしまった梅の花ですが、さあ、そうなると是が非でも会いたいと思うのが人の常。しかし二度三度フラレるのはいやなので、じっと我慢の子を決め込み、そして満を持して1月は下旬まで待って再び野に出てみました。

白梅ならば一番早くほころぶのは冬至梅ですが、日当たりの良い場所でも残念ながら蕾は固いままでした。
あるいは紅梅ならば八重寒紅梅が最も早く咲くことで知られていますが、果たしてどうか。その紅梅のあるところへと歩を早めます。木が見えてきました。しかし、う〜ん、遠目では枝に赤い雰囲気はありません。ああ紅梅よ、お前もか、などという大時代な台詞が心に浮かびます。とにかく木に近づいてみます。見上げます。枝のあちこちを探します。蕾は大分膨らんでいます。さらに視線を這わせます。

あった!

たった一輪、本当に絵に描いたようにたった一輪の八重寒紅梅が、おずおずと、遠慮がちにこちらを向いて微笑んでいます。その様のなんと愛らしく、なんと意地らしく、なんと健気で、そしてなんと清々しく穢れないことでしょう。この瞬間、世界のあらゆる混沌、人生の憂い、寒さ等々のあらゆるマイナスファクターから解放され、この一輪に思いのすべてが、まるで吸い込まれるように凝縮されていきます。
―この一輪は、まるで幸福の化身のようではないか。愛というわけの分からない概念を具象化したら、こうなるというわけか。
幸福? 愛? 普段あまりに陳腐に過ぎて決して使わない言葉がスラスラと心に浮かびます。疑いを知らぬそのピュアな姿に、とうの昔に置き忘れて久しい"とききめ"のようなものが胸に甦ります。

冬梅の既に情を含みおり (虚子)

世界は、まだまだ捨てたものじゃないようです。

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愛らしい一輪の梅を見た後では、冬枯れた景色のなかの花や鳥ではなく、彩りのあるそれを見たくて歩きました。1月にそれを言うのは贅沢ですし、本来冬が冬らしいのはそんな景色なのですからそれを見つめるべきなのでしょうが、この日だけはそんな贅沢に徹してみたくて、彩りを求めてさらに歩きました。

そして、多くの蕾をつけた寒紅梅、今季はやはり開花が遅かった蝋梅、寒椿などの彩りを見つけることができました。


鳥は、目に入れても痛くないメジロです。
トキワサンザシの名を持つ、一般には広くピラカンサと呼ばれる果実は11月には熟しますが、実持ちがよく、1月になってもその赤々とした艶を保っています。食べ物の乏しいこの時季、この実は小鳥たちにとっては貴重な食料のようで、とある農家の庭先の陽だまりに実るそれを求めてヒヨドリ・メジロ・ジョウビタキ・ツグミ・シロハラなどが次々に入れ代わりにやってきては、その赤い実を頬張る様が観察されます。
それはとても1月とは思えない、この時季ではなんだか申し訳ないような華やかな色彩を目の当たりにすることができました。



傍らで、そんな些細なことに一喜一憂する様をじっと見つめる石仏が、何を語るでなくじっと立ちつくしていらっしゃいました。


今日も風が冷たい、でも…。

(了)