≪スタッフ・有志の連載≫
 <第13回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第13回 三寒四温
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なにやら昭和を思わせるような古めかしいタイトルになってしまいました。
先の1月が、実に26年ぶりの寒さだったということらしく、そのせいで早春の花の開花がほぼ1カ月近くも遅れていて、ことさら今年は春が待ち遠しくてならず、どうかすると見逃してしまいそうなほんの少しの"春の兆し"にも、私のアンテナは常以上に鋭敏にその兆しを拾います。


それは例えば雄のシジュウカラの雌に訴える囀りだったり、日により少し霞む空の色だったり、数輪開いたかなと思ったら、その後の寒さに開花を躊躇い、ずっとその身を閉じたままのつつましい紅梅の蕾だったりです。
けれどもそれらは"春の到来"を示すものではなく、やはり"兆し"でしかないのです。探梅のように、その兆しを探し見つけることも嬉しいのですが、いつまでも兆しのままではさすがに恋しさも募ります。

2月になり節分を経て、立春を過ぎても寒さは続き、辺りの様子にほとんど変化はありませんでした。ほんの少し膨らんだネコヤナギの芽に、かろうじてその"さきがけ"のようなものを見るばかりです。
若い日々、好きな女の子に会えない時間を、さながら"その時"を待つ地中の蛹のように自室にこもってやり過ごそうとした、そんな日々にも似た気分のまま、色味のない窓の外の風景に視線を送りつつ、私の中の失望感に耐え続けたのです。

それでも時だけはきちんと過ぎ行き、そして弥生3月を迎えました。

晴れの日が続かなくなり、比較的暖かな雨が降り、気温はまだ低めながらも外出時の上着はダウンをやめ、少し肌寒くとも見栄を張って軽いものに替える、ようやくそんな季節になってきました。
ただ、本来なら3月も中旬近くに差しかかれば、野は、山は春の花々に華やかに彩られ始める時季となるはずです。が、先にも記したように、ひと月も花たちの開花を遅れさせている今年の気候では、終わらない冬の侘びしげな様子にあまり変化はありません。

それでも梅だけは、早咲きの品種に関しては7〜8分まで開いています。 
市内の北部に、小さな梅園があります。くるっと周ってもほんの数分で元に戻ってしまうようなつつましい梅園ですが、とてもよく手入れが行き届き、いつ訪れても気分の良い所です。大挙して人が押し寄せることもなく、落ち着いた梅見ができます。
小さいながらも梅は早咲き、遅咲き合わせて40品種ほども植えられていて、数週間は楽しめる梅園です。
梅園のただなかにいると、四方から品の良い芳香が漂い、私の鼻腔をくすぐります。その香りは冬から早春への小さな徴(しるし)のようにも思え、凍えて固まった根雪が溶け出すように、やってこない春にいじけていた私の心象が少しだけ穏やかになってゆくのでした。
 

「ピョー」
その小さな体に似合わぬ大きな声で、メジロが仲間に呼びかけます。
メジロは梅の蜜には目がないようで、ときに大きな群れになってやってきます。ただまだ梅園全体では3割ほどしか開花していないので、群れは小さく、飛んでくる頻度も少なめです。

鳥の撮影を始めて間もない頃、春ともなるとまるで競い合うように"花とメジロ"の写真が掲示板上に連日並んだものでした。どの写真も華やかで、かつメジロの表情も生き生きとしていていました。
「わ、なんて素敵なんだ、花とメジロって」と素直にそれらの写真の数々に感動しました。当然、じゃ自分もといそいそと梅や桜の咲くフィールドに出かけました。

ところが。

簡単ではなかったのです、メジロ撮りって。
もともとコンデジは合焦が遅い上に、デジスコの場合スコープのピントリング
でそこそこ合わせておくという一工程が加わるので、ピリリッという音と同時にカメラの合焦マークが出た時は、既にメジロはフレーム内にいないというのがほとんどなのです。
当時使用していた機材もお粗末で、雲台はガタついているし、鳥をフレームに入れたらいちいちネジを締めて固定しなければシャッターを押せなかったのですから、そこまでメジロが待ってくれるはずもなく、一日粘ってもフレーム内にメジロが収まったのはほんの数十枚でした。
手元にあるカメラでデジスコを始めたのも間違いで、カメラ自体は悪いものではありませんでしたが、早い話、まったくデジスコ向きでないカメラだったのです。

さらに露出操作が下手で、メジロ独特のあのオリーブグリーンの色が出せず、どうしたら良いのか皆目見当もつかず、悶々と日々を過ごしたのです。もちろん掲示板に投稿できるようなメジロは1枚も撮れず、シャッターチャンスさえ多ければ少しは何とかなるかもしれないと思い、梅も桜もメジロも近所でいくらでも会えるのに、わざわざ都内の有名庭園にまで出かけて(しかも有料!)撮影に臨むも、結局は惨敗を喫し、うな垂れて家路に着いたなんていうことも。

そんな言うに言われぬ苦労をしたせいなのか、それとは関係なくメジロという鳥の魅力にもともと惹かれていたからなのかは定かではないのですが、私はいつしかメジロにのめり込んでゆきました。
その色合い、アイリング、小さな体、花の蜜を吸う健気な姿、雌雄仲良く行動を共にする姿、どの姿も私のココロを奪うものですが、そんなふうに言葉にしてみてもうまく伝えられない感情が私の中にあります。

どう言えばいいのか…

私は夏のセッカという鳥(実際は留鳥ですが)と、ノビタキ(特に秋の)の二種に殊のほか惹かれていて、毎年のように飽きることなく撮影に出かけます。どちらも地味な草原性の鳥ですが、まあ正直可愛くてたまらないのです。

ではメジロは私にとってどんな鳥なのか? 撮影時であれ散歩中であれ、メジロを見かけるたびに私はいつも漠然と考えていました。
ワンコの散歩中に、つまり家の近所でよくメジロを見ますが、ふと気付くとその都度「あ、メジロ」とココロのなかで小さく叫んでいるのです。そして彼(彼女)が向こうへ飛んで行ってしまうまで、私はじっと彼らを見つめます。それがいつもいつもなのです。鳥が好きですが、どんな鳥でもそうなるかといえば、さすがにそうはなりません。私は彼らを見つめないわけにはいかないのです。もちろん可愛いから、好きだからというのはありますが、どうもそれだけではなさそうです。

モーリス・メーテルリンクにとっては、青い鳥こそが最上の鳥だったようですね。ベルギーにもルリビタキやオオルリのような鮮やかな青い鳥がいるのかしら。いずれにしてもメーテルリンクにとり青い鳥は、彼の想像力を大いに刺激する鳥だったのでしょう。

あ、そうか、私にとってのメジロは、メーテルリンクの青い鳥なんだ! 幸福の青い鳥…

メジロは青じゃなくオリーブグリーンだけれど、私の青い鳥だったのです。メジロと遊んできて、これまで特別なにかいいことがあったわけでもないけれど、でもメジロを見つめる私の目は、きっと優しい色をしているに違いない。


私はたくさん、実にたくさんのメジロの写真を撮ってきましたし、これからも撮り続けることでしょう。相変わらず撮影は簡単ではないですから、納得のゆくものは数えるほどしかありません。かつて、血眼になってメジロを被写体として撮影していた頃には、機材のせいばかりでない、私自身の在りようの問題もあってまともな写真は一つも撮れはしなかったのですが、この頃は機材の向上以上にメジロに接する私の側の方がかつてよりは大きく変わったこともあり、ほんの少しですが私にとっての"良い写真"が撮れるようになりました


そう、メジロは被写体なんていう無機質な言葉で呼びたくない。メジロという名の小さな小さな命が、私に大きな大きな愉悦をもたらしてくれる。そんな思いでメジロに接するようになったとき、命を命として慈しむことを知ったとき、もはや写真の良し悪しなどを超えたところの、時間と空間(花のある環境)をメジロと共有できる(joy=喜び)の世界に浸れる幸福を私は知ったのです。

今日も、メジロに感謝。

3月も中旬に差しかかろうというこの頃、寒い日もありますが暖かな日も何日か続くようになりました。
三寒四温、昔の人はなんて上手な言い方をしてきたのでしょう。"さんかんしおん"とかなで表示してみたら、なんだかとても優しげで、ココロ温まります。

梅はこれから一気に花開いてゆくことでしょう。他の花も開花を始めるでしょう。メジロにとってもわたしにとっても、とびきり素敵な季節が始まります。

(了)