≪スタッフ・有志の連載≫
 <第14回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第14回 花の季節に
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二十四節気では今年は4月4日が"清明"、そして4月20日が"穀雨"です。清明とは「万物ここにいたりて皆潔斎にして清明なり」という意味になります。また穀雨は「この頃の雨は百穀を潤す」ということで、春の最後の節気になります。


二十四節気はおよそ2週間おきに季節を区切り、その都度の気候の特徴を半ば詩的な漢字を当てて表現しているわけです。さらに古代中国では5日おきに季節を区切る七十二候があり、その都度の動植物の有様を短文で表しています。上の清明と穀雨の間では、4/4〜4/8は「玄鳥至」=つばめきたる 4/9〜4/13は「鴻雁北」=こうがん(雁が)かえる 4/14〜4/19は「虹始見」=にじではじめる、と続きます。
鳥見好きな方なら、ツバメの件と雁の件では「ふむふむ」と納得してしまうのではないでしょうか。
日本なら春夏秋冬の四季にくわえて早春だとか晩夏、初秋のように各季節を三つくらいに分けて呼び、その微妙な移り変わりを愛しむのですが、季節を七十二まで分ける中国人の細やかさというか厳密さには、ちょっと驚きを禁じ得ません。

 風眠り穀雨の音か夕早し   ―小倉緑村。

さて今年も4月の声を聞くと気温は日に日に上がり、南から駘蕩たる風が吹き抜け、ときに暖かな雨が降り地を潤すと、待ちかねたように春の花々―花桃・連翹・雪柳・木瓜・菜の花・諸葛菜等々、そして各種の桜―が一斉に開きました。
その有様ときたら、それはそれは華やかであでやかで、なお明るく優しげで、人々を魅了せずにはおきません。
それ以前が寒かったせいなのかどうか、椿などの花つきが今年は素晴らしくよく、「たわわに実る」と書けば普通は果実のことを指しますが、今年はまさに椿の花がたわわに実る様が、そちこちで見られます。

そしてやはり、たとえミーハーだの通俗だのと言われようと、満開のソメイヨシノには目を瞠らずにはいられません。その浮世離れした姿には、真夏の夜の花火の豪華さを讃えて「タマヤー、カジヤー」と思わず叫んでしまうのにも似た気分になり、その千両役者ぶりに「いよっ!」と声をかけたくなる私は、ただお調子者の性格によるものだけではないような気もされるのですが、いかがでしょうか。



花の盛りが過ぎると、桜は散ります。散った夥しい数の花びらは、風に運ばれて水路に落ち、花筏となります。
花筏。いつの頃からか、散った花びらが池や川、疏水の水面に集まる様子をそう喩えるようになったのでしょうが、喩えて妙、喩えて粋な言葉ですね、花筏って。
(同名のハナイカダという、葉の中心に花が咲く変わった植物がありますが、関係はありません)

私の住まいにほど近い、通称M田圃と呼ばれる広大な農地に古くから灌漑用の用水路があり、その用水に沿っていったい何キロメートル続いているのかはっきり分からないくらい延々とソメイヨシノが植えられています。24〜5年前からこのM田圃を歩くようになりましたが、その頃は桜はまだ若く、花見に訪れる人も多くはなかったと記憶していますが、いまその桜並木は見事な景観を呈してくれていて、毎年の楽しみになっています。訪れる人の数も増えましたが、どういうわけか観光案内の本やネットでもほとんど取り上げられないので、遠くからわざわざ来る人はいず、桜祭りもなく、屋台も出ず、地元の方々は静かな花見を楽しんでいます。
花は桜のみならず、この時季なら広大な農地(現在は畑が多い)には木瓜や連翹、海棠に花桃、雪柳や辛夷などの花がそちこちで咲き乱れ、花好きなら誰しもが幸せな気分に浸れてしまう、M田圃とは、そんな環境なのです。

さて用水路を訪れた日は、花びらは散ってはいましたが、花筏と喩えられるほどには水路は埋め尽くされてはいませんでした。まあでも、その花と遊ぶカルガモやカメ(ミシシッピアカミミガメ)を見ることができて、なんだか嬉しくなってしまいました。


 鴨まどう人も惑うか花筏   ―漂鳥

暫く彼らを観察していたら、お馴染みの甲高い声とともにカワセミくんが飛んできて、先日の強風で水路に折れ落ちた枝にとまりました。
いまやカワセミはどこででも見られる普通種になりましたし、以前からこの水路がカワセミの餌場になっていることも知ってはいました。それでも思いがけず目の前にポンと彼がとまってくれたことは、素直に喜ばしいことでした。やっぱりカワセミはカワセミ、ココロ奪われる鳥には違いありません。



4月の昼下がりのひとときを桜と過ごし、その姿をカメラと瞼に焼きつけて、今年の春は私の中では終わりを告げました。ふと足元を見やれば、ナズナ・ヒメオドリコソウなどの野の花の中にタンポポやカラスノエンドウのような初夏の野草が地を這うように咲き始めています。それらの花の間をモンシロチョウ・キチョウ・ベニシジミといったチョウたちが嬉々として飛びまわり、次なる季節の到来を告げています。

シジュウカラは梢の先で高々と囀り、その梢には、清新という言葉そのもののような芽吹きが見られます。若葉の色は生まれ出ずる命の色。あまやかにしてたおやか、迷いのない無垢なるその色の輝きの中に、命の讃歌を聞き取れはすまいか。

創造主のセンスを、讃えましょう。


穀雨を過ぎれば季節は初夏。鳥の世界も本格的に渡りや移動の時季となります。そして植物たちの芽吹きに合わせるように、鳥や獣たちは繁殖を始めます。生き物たちが、次なる命を育むために己の持てる全精力を傾けて、子育てに励むのです。
是非、温かく見守りたいものです。

(了)