≪野鳥観察情報≫
   バードウォッチングのミカタ
 ======== by 松田 道生さん

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  第37回 いつの頃から
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珍鳥ポイントにバードウォッチャーや野鳥カメラマンが、集まるようになったのはいつの頃からなのか、記憶を辿ってみました。

私は、1965年に日本野鳥の会に入会しています。当時、会員は全国で2,000人を欠いていました。そのため、住んでいた東京都板橋区では2人目の会員でした。ですから、ホームグラウンドの荒川河川敷でバードウォッチャーに会うことは皆無。また、1968年1月にごく近くでサバクヒタキが出現しました。これは、日本で最初の記録となります。私がこの情報を知ったのは明治神宮探鳥会です。ちょうど、大学受験を控えていた私は行けませんでしたが、探鳥会での話題では幹事クラスの熱心な方が行った程度で高野伸二さんが撮影しています。当時の望遠レンズの普及具合から、この鳥の写真を撮ったのは数人ではないでしょうか。いずれにしても、1960年代は日本初記録の珍鳥が東京近郊に出現しても騒ぎにはならなかったのです。

1970年頃、千葉県行徳にセイタカシギが出たことがあります。今ではセイタカシギは普通種になってしまいましたが、当時は後述する現在のソリハシセイタカシギに匹敵するくらいの珍鳥でした。また、現在の東西線行徳駅から海側は一面の休耕田でした。情報は、ボランティアで出入りしていた日本野鳥の会の事務所で仕入れたものです。1日中、友人と田んぼを歩き回りましたが、なかなか見つかりません。バードウォッチャーとは1人も出会わず情報交換ができなかったのです。そして、夕暮れのなか残照を浴びながら出現したセイタカシギとの出会いは、今だ忘れることはできません。

この珍鳥のセイタカシギが1978年6月、千葉県習志野市の埋め立て地で繁殖しました。場所は、現在の津田沼高校のある海側の造成地です。この時は、谷津干潟の保護に関わっていましたが、大挙してバードウォッチャーが訪れたり、カメラマンが悪さをしたという話は聞きませんでした。このセイタカシギについては、児童文学者の国松俊英さんが『セイタカシギ大空を飛ぶ』(1979・大日本図書) として著していますが、国松さんはカメラマンではありません。

この頃のことを記憶に辿ってみると、野鳥カメラマンが1ヶ所に集まるという事例は、おそらく山中湖の別荘地の”洞の水場”ではないでしょうか。1970年代のことです。その頃、高野伸二さんなどプロの野鳥カメラマンが来訪しています。発行された写真集には、明らかに洞の水場で撮影された写真が掲載されています。当時、私は日本鳥類保護連盟の職員でしたが、写真を撮るならば洞の水場が良いという情報は知っていました。この頃、連盟も日本野鳥の会も会員が2,000人程度の時代です。

私は日本野鳥の会静岡支部の方の案内で、1971年3月に訪れています。この時は、私たちだけで貸し切り状態でした。しかし、支部の方の話ではブラインドを張ったカメラマンにバードウォッチャーが追い出された話や水場に花を置いて写真を撮るカメラマンがひんしゅくをかっていました。当時、すでにトラブルの芽があったことになります。

あい前後しますがこの頃、秋に愛知県伊良湖岬をサシバの群れが渡ることを日本野鳥の会愛知県支部の方が発見いたしました。当時は、同じ渥美半島にある汐川河口干潟のほうが有名で、1975年に全国干潟シンポジウムが田原町で開かれました。それ以前に汐川を訪れた仲間が、たまたま伊良湖岬でサシバが渡っていくのを見つけ情報が広まりました。

私が初めて行った1974年10月10日は、いっしょに行った仲間と地元の方だけで10数人もいたでしょうか。しかし、1980年代に再訪したときは100人を越えていたので驚きました。たぶん、バードウォッチャーがたくさん集まる走りが、この伊良湖岬だったのではないでしょうか。そのため、1996年には伊良湖岬をあきらめ対岸の神島に行くことにしました。乗っていた新幹線の中で「伊良湖岬に500人のバードウォッチャーが集まる」とラジオのニュースで聞いて、してやったりと思ったものです。

この後、話題になった記録では、1987年11月横浜自然観察の森のウタツグミ、1988年2月伊勢原の農耕地のノハラツグミがあります。いずれも、私は行きませんでしたが、大勢のバードウォッチャーが集まっていると伝わってきました。この2例は、プロのカメラマンも行っており、その後の彼らの図鑑にはこの地名が記載されています。この頃は、コンピュータ通信はまだごく一部、電話の時代です。

そして、私がいちばん強く印象に残っているのは、千葉県習志野市の谷津干潟にソリハシセイタカシギが出現したときのことです。およそ20年前の1993年、私は11月25日に行っています。

私は、この時の印象を当時連載中だった産経新聞のコラム『小さな季節みつけた』に「珍鳥来訪」と題して、次のように書いています。

『千葉県谷津干潟にソリハシセイタカシギが来ているよ』と、仲間から電話をもらった。新聞の朝刊の一面にカラー写真で載ったのでご存知の方もあるかも知れない。この鳥は、愛知県鍋田干拓地で、日本ではじめて発見される1970年代まで日本での記録はなかったほどの珍鳥。その後の記録も数えるほどしかなく、東京湾は14年ぶりの到来だ。この鳥は記録が少ないという魅力もさることながら、名前のように足が長く細い嘴は上に反り特有のスタイルをしており、体のほとんどが白く翼の一部にアクセントのように黒い部分があり、とてもキュートな鳥なのだ。

私も、さっそく谷津干潟に出かけた。だいたい、珍鳥は新聞に載るころにはいなくなるのだが、いたいた。干潟で一生懸命、食べ物をあさるこの鳥の姿を見て、まずは安心。

今回の珍鳥到来では、いろいろ感慨深いものがあった。まず、大新聞の一面をカラー写真で飾るほどのニュースの価値があったこと。それだけ自然に対する関心が高くなったと考えてよいのかも知れない。そして、谷津干潟に行って驚いたことは、なんとバードウォッチャーが500人も並んでいた。そして、砲列のように並んだ望遠レンズ。鳥が動くたびにシャッターの音がうなる。まるで芸能人の婚約発表のようだ。

私にとってこの鳥とは初めての出会い。でも、こんなことが気になって感激がいまいち薄かったのは残念だ。

同様のことを、他のコラムでも書いています。この日は、アパレル業界の知人といっしょに季節も良いし珍鳥もいるからと訪れたらたいへんなことになっていたわけです。この知人は「バードウォッチャーのファッションを見るのにちょうど良かった」と言っていました。このほか、記憶に残っているのは駐車場には関西などの地方ナンバーの車がとまっていて、徹夜で車を飛ばしてきたという話も聞きました。

私は、この前の年に日本野鳥の会を退職しています。当時、会員は1万人を超えたばかりの頃で、会員数=バードウォッチャー数に近い時代のことです。

おそらく今でもソリハシセイタカシギが、谷津干潟に出現したら、これ以上の人が集まることと思います。当時は、まだインターネットが普及をしておらず、新聞に載ったことで人が集まったのですが、今ならば新聞に載らなくても翌日にはこの規模の祭りになることでしょう。

ざっとおさらいをしますと、1960年代は無問題、1970年代でやや萌芽が見られ、1980年代後半から顕著化し、1990年代から当たり前となり、2000年代は問題になったと言えるでしょう。

初期の情報伝達は、探鳥会での口コミ、ついで会報や写真集に地名が載る、つぎに電話、そしてFAX、新聞、さらにインターネットや携帯電話と伝達方法が進化していることがわかります。また、日本野鳥の会の会員が1万人を越えたあたりが、問題発生の頻度が増えてくるターニングポイントになっています。そして、これ以降は日本野鳥の会の会員数=バードウォッチャーの数とはならず、今では会員数の何倍ものバードウォッチャーや野鳥カメラマンがいると思われます。そして、増加した時期は1980年代後半から1990年代の初め、いわゆるバブル期にもあたります。経済的な余裕が趣味を楽しむ風潮を助長したことは間違いありません。そして、バブルははじけましたが珍鳥バブルは相変わらず続いていることになります