≪スタッフ・有志の連載≫
 <第17回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第17回 叫び
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昼でもなお薄暗い谷間に、まだ明けない梅雨の雨が蕭々と降り続く。雨は、辺りの音を懐深く吸収し、谷間はしんと静まりかえっている。人里から深く分け入った谷間は、人の日常からも隔てられた異空間のようでもあり、降り続く雨すらも厳粛な面持ちを湛えている。

山の中腹のいずことも知れぬ匿名のようなひっそりとした箇所、その地中から浸み出した数滴の水はやがて傾斜を流れ始め、徐々に幅を広げ、土を削り岩を穿ち、そうして広葉樹と針葉樹が混合する山を、それこそ数千年の歳月をかけてゆっくりと、しかし確実に左右に深く隔てていったのに違いない。今、眼下を流れる3bにも満たない優しげなせせらぎは、実は山と山を分け隔てる強靭な力を内に秘めているということになる。
谷川を挟んだ左右の岸辺に猛々しく生い繁る樹木に覆われる谷間は、狭く、湿気に満ち、ひっそりと佇む。野生の感覚を数千年前に置いてきてしまった人はなかなか気づけないが、実は谷間は多くの生き物を住まわせている。哺乳類ならばニホンザル・ホンシュウジカ・カモシカ・イノシシ・ツキノワグマ。鳥はこの季節ならばサンコウチョウ・クロツグミのような低山のそれが多い。さらに目を瞠るような色合いのトンボも足元に…。

アサヒナカワトンボ♂ アサヒナカワトンボ♀ ミヤマカワトンボ

そのように作られた谷間に、いつの頃からかその鳥はやって来るようになった。
初夏、雄は雌を求めて優しく囀る。その哀切な鳴き声は深い森に谺し、雌のみならず、探索の苦労の末に漸くこの谷間に行き着いた数人の、素朴でココロ優しき地元のカメラマンたちの耳にも届き、胸に染みわたる。
「キョロロロロ…」

鳥の名はアカショウビン。

世界的には数少ない鳥ではないけれど、日本の本州などへの飛来数は決して多くはない。さらにその鮮やかな赤にもかかわらず森の中では見事な保護色になっていて、すぐそこにいても見つけられない。里山環境で繁殖するものの、その巣の在り処を認めるのが難しく、また繁殖地での滞在期間も短いなどの理由で、目にすることが難しい鳥とされている。
繁殖期には、ペアになった雌雄はよく鳴き交わすが、日が高くなると鳴かない。ただし雨の日にはその限りでなく、その切ない響きが日中も森に響き渡る。そのせいか、里では古くからこんな逸話が伝えられている。


むかしむかし、己がアカショウビンであることを意識していない、己が緋のように赤い鳥であることに気づいていなかった、そんな時代に…。
ある日、彼が水を飲もうと泉の際に降り立ち、その泉を覗きこんだ。するとその泉の中に見たこともないような真っ赤な鳥が真紅の嘴を開いてこちらを見ている!
怖くなったアカショウビンの彼は、その場を立ち去った…。
けれども喉の渇きに堪えきれず再び泉へ。しかし泉には相変わらず鬼のように赤い形相の鳥がこちらを睨んでいる。水が飲めない彼は苦しんだ。

梅雨入りをしたある日、再び泉に赴き恐る恐る水面を覗きこむ。おや、いつもの赤い鳥がいない! 雨が水面を揺らし、真っ赤な己を消してくれたのだ。彼は思う存分水を飲んだことは言うまでもない。

以来、彼は喉が渇くとキョロロロロと哀しげに鳴いては「雨降れ」と天に乞うようになった。梅雨時にやってくる彼だから普通の年はさほど困らなかったが、ときに空梅雨だったりする年には、キョロロロロの哀しげな響きが毎日のように森の奥深くから聞こえてくるのだった。…



里の古老に話を聞くと、こう語ってくれた。
「わしらは昔からあの鳥をアメフレと呼んでおる。天気の悪い日に限ってよおく鳴くもんだで、ああ、アメフレが鳴いとるのお、と話すんじゃ」


ペアが決まると、赤ゲラか青ゲラかは定かでないが、杉の幹に啄木鳥の空けた穴を利用し巣作りし、卵を孵し子を育て、子どもが巣離れするといずこともなく姿を消す。越冬地は東南アジアだが、巣立ち後の親子の行方はあまり観察されていない。

この日は、雛が卵から孵って10日目。おそらく週末には巣立つだろうと言う。きちんと観察しているとそこまで分かるのだという。ただし地元のカメラマン諸氏はみな仕事を持ち、観察・撮影は土日のみであるけれど。
雛が孵ったので、雌雄は代わる代わる餌運びを行う。片方が巣に入り、片方が餌を捕りに行く。雄は伴侶となる雌を獲得しようとする際には、切なげではあってもかなり大きな声を出すが、攻守を交代する時には雌雄とも小さな声でキョロロロと一声だけ鳴く。
餌はサワガニが多いが、なんとカワセミのように川に飛び込み魚も捕る。雛がサワガニのような固いものを消化できるのかと心配になるが、捕ってきたサワガニを見ると、見事に足がもいであるのが判る 。


どんな鳥も子育ては命がけであるし、そのことに感動すら覚えるのが常だが、雨などものともせず健気に餌を運ぶ雌雄のアカショウビンの姿には、一層思いを奪われるのである。ところが暗い谷間を舞台に、視界の端から赤がキラリ一閃したかと思うと、杉の横枝にスッと留まる、その姿にどうしてもリアリティーを感じられない。その非現実感は、その後何度も姿を見せてくれたのにもかかわらず、いつまでも非現実感のままであることに戸惑う。過去にはかなり珍しい鳥も目にしてきたし、確かにその瞬間はアッともオッとも思うが、次の瞬間にはもう既に知っている鳥として位置づけられるのが常であるのに、アカショウビンだけはいつ見ても、何度見ても既知の鳥にならない。目の前にいるにもかかわらず画像を見ているかのような、そんな非現実感がある。

アカショウビンは魔性の鳥なのだ。見る者を惹きつけ、魅了するばかりでなく、理性ではなく感性に直に飛び込んでくる稀有な鳥なのだ。だから多くのカメラマン・ウオッチャーは赤い鳥に狂う。赤い鳥にのめる。はまり込み溺れる。まるで神格化された鳥を崇めるように。


けれども翌週、アカショウビンは我々の全く知らない一面をまざまざと見せつけたのだ。

2週間前に谷間を訪れた際は、半日待ってもアカショウビンの姿はおろか鳴き声すらも聞けず、野鳥観察の難しさを思い知らされたものだったけれど、今日はもう十分撮影もできたので、今年この谷間に来ることはないだろうと思っていた。地元の友人たちは、もう来週には巣立つだろうから、来週は最後のチャンスになるよと熱心に誘ってくれはしたのだけれど。
だが翌週になり、どこという当てもなくともかくデジスコを車に積んで出かけたのだが、結局引き寄せられるように車は谷間に向かっていた。遅く出たせいもあり、谷間へは昼近くに到着。
しかし友人たちの姿はなく、アカショウビンの姿もない。巣立ったばかりなのであれば、親子はまだ近くにいるに違いないと探したが、気配がない。仕方なくトンボや昆虫を撮影し、後ろ髪引かれる思いで谷間を下った。ところが途中で上って来る車にすれ違う。地元の友人たちだった。聞けばやはり巣立ったが、少し下った所の餌場に親はやってくると言う。

餌場で待つ。
暫くすると、親が高速で川沿いを飛んで行く。すぐそばの藪の中で、ギュギュという奇妙な声がする。巣立った幼鳥の声だという。飛んで行ったのは雄らしかったので、雌が傍についているのだろう。
なおも待つ。
少し先でカラスが鳴く。と、かつて聞いたことのないギャー、グワーといった切羽詰まった激しい鳴き声が、カラスの鳴いた同じ方向から聞こえてくる。
「あれは実はアカショウビンなんですよ。カラスから雛を守ろうと必死なんですね」と友人が言う。
「え、あれがアカショウビン!」と言ったきり、二の句が継げなかった。あの優しげで切ないキョロロロという鳴き声からは程遠い、野生の、あるいは野獣のような雄の叫び声。アカショウビンの闘志。
ややあって再びギャー、ギャーという、どんなことがあってもカラスに屈しないぞという雄の強い意志が耳に届く。戦慄が背中を走る。

それから程なく、今度は上流からカラスの声。間髪を入れずにアカショウビンの叫び。程なくして近くの樹木にカラスが。するとそれを追うようにアカショウビンの姿が同じ樹木に垣間見えた。。

鳥の、子を守ろうとする行動は凄まじいものがあり、例えばアオバズクは、やはり自分の体の何倍もあるカラスに体当たりをするし、小鳥などでも忍び寄るヘビを必死で突きまわして追い払おうとする。先日見たNHKの番組では、キョクアジサシが雛や卵を狙ってやってきたホッキョクグマの顔面を突きまわし、退散させた。アカショウビンといえどもそれは例外ではなく、身を賭して子を守る姿に違いはない。。

30分後、雄が餌場にやって来た。暫くそこに留まっていたが、やがて何も捕らずに飛び去った。
写した画像を見て胸が痛んだ。先週の画像に比べれば、やはり雄は痩せ、疲れ、毛づやも悪い。頭部の羽毛はめくれ、お世辞にも美しい鳥というイメージではない。本当はアカショウビンの名誉にかけてもこんな画像は載せるべきではないのかも知れない。しかしこれこそは野生に生きる実際の姿なのであり、真の姿なのだ。…


翌日の夜、友人からのメールが届いた。

雛が何羽巣立ったかは分からないが、結局少なくとも3羽の雛がカラスにやられた。そして今日はもうアカショウビンの姿は一切見えなくなった。残った雛を連れて移動したのかどうかは確認できない。全部やられたのではなく、1羽でも2羽でも雛は残ったと、そう信じたい。
いずれにしても今年のアカショウビンとの付き合いは終わった。また来年どこかで会えることを祈りたい。


それから1ヵ月半の時を経た。
外は夏の終わりを告げる雨が降っている。人里離れたあの谷間にも、あの日と同じように蕭々と絶え間なく雨は降っているのだろうか。

アカショウビンは魔性の鳥などではなかった。かけがえのない我が子の命を全身全霊で守ろうとする、他の生き物と何も変わらない愛情溢るる鳥だった。
「1羽か2羽か分からないけれども、きっとどこかで雛は大きくなってますよ」と、2ヵ月以上アカショウビンを観察し続けてきた友人は、そう確信を持って言っていた。
そうだね、きっとそうに違いないね。犠牲をゼロにはできなかったけれど、天敵に立ち向かうあの雄の勇敢な叫びこそは、間違いなく雌と他の雛を守ったに違いない。そう確信を持たせるほどあの叫びは気魄と使命感に満ち満ちていたものだったから。

だからさ、また来年の梅雨どきに、今度はあの優しいキョロロロを聞かせてくれないかな。

(了)