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──────────────────── 第41回 銚子で思ったこと−識別を楽しむ ──────────────────── 私も若い頃は、マニアックに鳥を見ていたことがあります。その頃の道場は、新浜でした。新浜は江戸川本流と江戸川放水路の間に広がっていた干潟と後背地の湿地です。現在の地名では浦安や行徳、またTDLのある埋め立て地ができたときは、珍鳥ラッシュとなりました。その頃は、シギやチドリの区別ができるということで威張ることができました。ダイシャクシギとホウロクシギ、オグロシギとオオソリハシシギの区別ができて、ハマシギの大群の中からサルハマシギを見つけ出せれば、どや顔ができたのです。 ひとつに、これらの鳥の識別ポイントが書かれた図鑑がなかったことがあります。ですから、識別ポイントの情報はベテランからの口伝です。さらに、双眼鏡や望遠鏡の機能も低く、一年中春霞の中で形や色の違いを見いだして区別していたようなものです。しかし、今やこのレベルの識別は簡単にできるようになりました。シギやチドリが、識別できても自慢ができなくなってしまいました。 識別は難しいことが楽しいのです。この楽しさを味わえるのは、今やムシクイ類とカモメ類ということになりました。ということで先日、千葉県銚子でカモメ類の識別を学んで来ました。 銚子には、お世話になった兵庫県のヒクイナ研究家W辺さんがお出でになるというのでご案内方々、出かけました。銚子はいつでも行けますが、なかなか行かないところです。このような機会がないと足が向きません。W辺さんをご案内して差し上げようと思ったのですが、レンタカーでご案内いただいた上に、カモメ類の識別はW辺さんはじめ、同行されたK島さん、O谷田さんに教えてもらう始末でした。 ところで、この鳥は○○であると区別することを”同定”と言います。規準の剥製があって、その剥製と同じに定めるという意味になります。そのため、客観的な証拠=標本が無くては同定できません。しかし、野外で飛びまわっている鳥を捕まえることは不可能です。そのため、その鳥の特徴を確認して、○○であると判断することを”識別”、あるいは”野外識別”という言葉を使います。いわば、科学的な証拠のない記録となります。野外で特徴がはっきりしている鳥であれば見たと言うだけで充分、写真が撮れればさらにOKというのがバードウォッチング業界の暗黙のルールです。 銚子で感じたのは、今やカモメウォッチングは野外識別の極限の域に達していると思いました。カモメ類の識別は、元々似た鳥が多い上に年齢差、地方差、ハイブリッドもいるという一筋縄ではいかないグループなのです。このカモメ類を識別するのには、野外での観察眼はもとより資料の探索、かさねて分類学の知識がないとできません。単に図鑑に書いてある珍鳥を照らし合わせて確認するだけの今までの珍鳥ウォッチングの方法では、判断できない個体がたくさんいます。いわば、カモメウォッチャーは、野外識別の限界に挑戦する戦士たちではないかとも思いました。 彼らの会話を聞いていると、知識と知識をぶつけ合い議論して結論に近づけます。図鑑だけではなく、最新の論文の記述まで知っていないとこの議論に加わることができません。中には「去年は若鳥で解らなかったが、今年成長したのでやはり○○だ」と2年越しの識別もあります。昔の野外識別のように「誰々が言ったから○○だ」という感性の識別ではなく、科学的な識別なのです。野外で見た情報と知識といった客観的な事実の積み重ねが、種を決定させます。いわば、限りなく同定に近い野外識別です。そのため、もちろんわからない個体もいくつもいました。その場合、○○という特徴が確認できなければ、それは認定できないという結論となります。私は、彼らの結論が出るのを待って確認するというていたらくでしたが、勉強になりました。こうした銚子の識別戦士たちの行動を見ていると、私のなかのマニアックな血がうずいて来ます。 多くの野鳥カメラマンは珍鳥を撮りたい、バードウォッチャーは見たいという気持ちが強いのは間違いありません。この気持ちは、カモメ類に対しても変わることはないと思います。しかし、珍鳥情報を頼りにポイントに出向き、皆といっしょに並んで撮影したり、見るだけのバードウォッチングを続けている限り、カモメ類の珍鳥を楽しむことはできないでしょう。カモメ類に関しては、目の前にいる群れのなかから自分で見つけ、識別しなくてはならないのですから。 |