≪スタッフ・有志の連載≫
 <第24回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第24回 虫撮り日記
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某月某日。
そんなに広くはない、けれども背後には小深い雑木林、向かいには春秋にヒタキ類も立ち寄る神社の社叢、幾筋かの細い水路が低地を走り、畑地のなかにいくつか非耕作地(原っぱ)が点在する谷戸。虫たちが生息するには必要十分な条件が揃ったそんな谷戸に、7月に入って降り立った途端、その月代わりを待っていたかのように今季初のニイニイゼミの鳴き声が、背後の雑木林から届く。彼にとり、正に今日が初鳴きであるのらしく、時折り鳴き声が途切れ途切れになってしまう初々しさ。
(盛夏、到来だな。それにしてもニイニイのやつは、いつだって7月の声を聞いた途端に鳴き出す。まったく律義なヤツだな)

幾年か前からキイロサナエが飛ぶという話もあったこの谷戸だが、あいにくその姿は見られない。黄色っぽいトンボが留まったので、すわ現れたかとぬかよろこびするも、多分出現したばかりのノシメトンボだった。けれどもこの環境に良く馴染んだ姿がとても好ましくて、丁寧にシャッターを押す。
足元に咲くヒメジョオンに群がるベニシジミを眺めていると、一回り大きい薄茶色のチョウが留まる。何かなと目を凝らすと、翅裏の模様からミドリシジミかなと思う。でも、近くにハンノキもないし、この近辺でミドリシジミを見たこともないので、さらによく見ると、どうやらトラフシジミのようだ。普段あまりお目にかかれないチョウなので、正直嬉しい。
原っぱに足を踏み入れ、足元からポンポン飛び出すバッタなどを眺めていると、向こうの葉っぱの上に黒っぽい甲虫がとまる。よくいるゴマダラカミキリだが、なにやらもぞもぞとしているので連写したら、うまく飛び出しの瞬間を収めることができた。
ノシメトンボ(熨斗目蜻蛉) トラフシジミ(虎斑小灰蝶) ゴマダラカミキリ(胡麻斑髪切)

同じ原っぱの上空を、数十頭のチョウトンボが乱舞している。この時季、空が大きく広がる畑地や草地、池周りの葦原などでは多くのチョウトンボが伴侶を求めて舞う。ありふれたチョウながら、夏の眩い陽の光を受けた、まるでステンドグラスのような四翅の輝きは、私を魅了して止まない。
遠くの雄はデジスコで、近くまで寄れた時は短いレンズのデジ一でアップで撮るのが、この頃の昆虫の撮影スタイルになっている。3枚目は雌だけれど、その渋い輝きにしてやられた。

チョウトンボ♂(蝶蜻蛉) チョウトンボ♂ チョウトンボ♀


某月某日。
この季節を旬とする花を少々。ヨウシュヤマゴボウは、グリーンから紫色に熟れてゆく実が特徴だけれど、その花も地味ながらとても愛らしい。
ヒメヒオウギズイセン
(姫檜扇水仙)
アガパンサス
(紫君子蘭)
ミヤマチャバネセセリとノアザミ
(深山茶羽?と野薊)
ヨウシュヤマゴボウ
(洋種山牛蒡)

某月某日。
6月から7月の前半にかけて、ハンノキ林に多くのミドリシジミが発生する。夏を除く三季は野鳥カメラマンで賑わう森だが、幾種かの留鳥以外に鳥がほとんどいないこの時季、蒸し暑いこの森を訪れる人は少ない。けれども今、チョウ好き・虫好きのオジサンらが、まるで少年のように目を輝かせながら朝早くからミドリシジミを探す姿が見受けられる。もちろん私もその一人だが、ミドリシジミは早朝しか低い位置に現れないので、私は土曜ないし日曜日にしか行けないのが辛い。
それでも、なんとかゼフィルス(樹上性のシジミチョウ)の代表みたいなミドリシジミに会いたくて、その宝石のようなキラメキを見たくて、森に通う。
けれどもゼフィルス(ギリシャ神話の「西風の神」)は神様だから、そうは簡単に姿を現してはくれない。少しでも時間が遅いと、気まぐれな神様はプイと横を向いたきり、樹上の高みへ上がったまま降りてこない。
ミドリシジミを探しながら、同じ森で会えたコミスジやらアオイトトンボ、クロアゲハなどをカメラに収める。
コミスジ(小三條) アオイトトンボ(青糸蜻蛉) クロアゲハ(黒揚羽)

虫たちは少年を大人に、大人を少年にする 
(「大人になった虫とり少年」(宮沢輝夫 編・朝日新聞社 刊)より)

子どもの頃、兄たちの影響もあって虫が好きだった。夏は虫と遊ぶのが日課だった。兄たちは標本作りまで手をそめたが、私は採って眺めて放す、そういう接し方を好んだ。夏休みになれば、40日間毎日欠かさず近所にセミ採りに行った。採ってきたセミは家の縁側にかかっている簾(すだれ)に留まらせ、飽くことなく眺めた。
バッタやカブトムシ・クワガタもよく採った。兄たちの愛読書「少年少女昆虫観察図鑑」を同じく私もいつも見ていた。おかげその図鑑は、もう修復しようもないほどボロボロになったが、手離そうとはしなかったし、新しい図鑑を買おうとも思わなかった。そして、世の中には奇妙な名を伏せられた虫もたくさんいることを知った。マイマイカブリ? ヨツボシケシキスイ? ウバタマムシ? ジョウカイボン?  触角の長いヒゲナガカミキリの仲間が大好きだった。
あるいはジガバチの生態が面白く、狩ってきた獲物をせっせと巣穴に運ぶ様子を、何時間も眺め続けた。

一つの種にほとんど偏執的にこだわるのは、どうやら子どもの頃からの習い性だったようだ。
長じて鳥を見るようになっても、多種を集める、珍しいものを追うよりは、お気に入りの数種を徹底して見る・撮るという傾向が顕著だ。


某月某日。
今日も森へ。6時過ぎから探蝶を始めると、すぐにミドリシジミが見つかる。付近に目を凝らすと、ここにもあそこにもミドリシジミはいる。この日、およそ35頭のミドリシジミを確認する。けれども、少なくとも私が見ている前で、彼(彼女)は決してその輝かしい翅の表側を見せることはただの一度もなかった。
またしても私は"ゼフィルスの壁"に突き当たったまま、脱け出せないでいる。
ツバメシジミ♀の素敵な画が撮れても、小さな小さな、けれども美しさと存在感にあふれる甲虫ハンノキハムシやマメコガネが撮影できても、ココロの空虚はなかなか埋まらない。ノカンゾウが虚しく揺れている。…
ミドリシジミ(緑小灰蝶) ツバメシジミ♀(燕小灰蝶) ノカンゾウ(野萓草)

某月某日。
地元の自然公園はトンボの宝庫だ。普通種ながら数だけは多く、池周りを歩いていて飽きることがない。
チョウトンボ・ショウジョウトンボ・シオカラトンボ・コフキトンボ・オオシオカラトンボなどのほかに、3種ほどのイトトンボ、何種かのサナエやヤンマが常時飛び交っている。
そのなかから赤いトンボ3種を。3種目は、コフキトンボ雌の異色型で、翅に帯もあるタイプだ。
ベニイトトンボ♂(紅糸蜻蛉) ショウジョウトンボ♂(猩猩蜻蛉) コフキトンボ♀(粉吹蜻蛉)

鳥の世界とは比較にならないほど、昆虫はその種類も数も膨大な数にのぼる。これだけ種が分化したことは、地球環境がいかに多彩であるか、また虫たちの各環境への適応能力がいかに優れているかを物語ってはいないだろうか。
虫を異形のもの、異質のものと忌み嫌う方はけっこう多い。特に幼いころに虫に馴染んでいない子どもは、少し成長した段階でほぼ例外なく虫を嫌うようになる。気持ち悪いと逃げ惑う。虫などこの世からいなくなれと呪詛の言葉を投げかける子までいるしまつ。
嫌いなものを好きになれとは言わないけれど、少なくとも自然は人間の都合や思いだけでは成り立たないこと、虫が豊かにいることは自然が豊かなこと、自然が豊かなことは地球が豊かであることに他ならない、そのことだけは是非学んで欲しいものだ。

ミドリシジミの宿題は、今季果たせるだろうか。それとも来年以降になるのか。多分それは西の神(ゼフィルス)のみが知ることなのだろう。
梅雨が明けた。暑い夏になりそうだ。セミたちの大合唱が今年も始まる。

(了)