≪スタッフ・有志の連載≫
 <第26回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

────────────
  第26回 花野にて
────────────

花野という言葉・季語をご存じでしょうか。
花野? 愛らしい草花が咲き乱れる春の野のことかな?
いえ、花野は秋の花や草が広がる野面を指すのです。そう、花野は秋の季語なのです。初秋ならば秋の七草に代表される花が咲き、季節の移ろいに合わせてアキノノゲシ(秋の野罌粟)、セイタカアワダチソウ(背高泡立草)、各種のタデ(蓼)、何種かのセンダングサ(栴檀草)、オオハルシャギク(大春車菊=コスモス)などが秋の野を淡く穏やかに彩る様をそう呼ぶのです。


  彩りの淡く花野の風渡る (稲畑汀子)

アキノノゲシなど イヌタデなど アキノウナギツカミ


この花野にお似合いの鳥がいます。他でもないノビタキです。
私の場合、毎年のようにこの季節の本通信の話題がノビタキばかりになってしまいます。この時季、他に鳥がいないわけではないのですが、暑さの残る初秋から、紅葉が終わって草木が枯れ寂びる晩秋に至るまでの野の景色の移り変わりや、自己主張しない色合いの花や、艶を失った草の葉の色などの、やや侘びしげな野の姿にになぜかとても惹かれていて、そしてその花や草の上にチョコンと乗り、遠くを見つめているような眼差しのノビタキの佇まいと、移りゆくその秋景色への私の思いとのハーモニーが妙に和し、鳥に限らず、他の事物にさえあまり目が行かなくなってしまうくらいなのです。

初夏、高原などで繁殖・子育てをしたノビタキは、9月の声とともに移動を開始します。今の日本は9月なんてまだ真夏なんですから、標高の高い場所ででのんびり避暑していればよさそうなものを、第2週には必ず我が町の西部に広がる河川敷の農地に律義に現れます。暫くすると、私の自宅から程近い畑地でも見られるようになります。こうして少しずつ移動を繰り返しながら、冬を過ごす東南アジアへの旅立ちに備えて、11月くらいまではまだまだたくさんいる虫を食べ、十分な栄養補給と休養をとるわけです。
そんなことで、私にとり秋のノビタキは、一つの風物詩であり年間の行事でもあるようなのです。盆や正月が一つの節目となって季節が流れてゆくように、里の秋のノビタキなくして、私の秋は始まらないし終わらないのです。

ノビタキは河川敷や田圃、畑、荒れ地など様々な場所で見られます。ときに彼岸花やコスモス、遅咲き(遅植え?)のヒマワリなどにも留まり、恰好のモデルとしてカメラマンの人気を独占し、野鳥カレンダーの一頁になったりもします。
確かに花どまりは季節感を表すことができて、そしてもちろん美しく愛らしいのです。ですから花が咲いていれば、ノビタキはいないかと私も目を凝らします。
けれどもほとんどの場合ノビタキは、秋草に留まることの方が多いのです。背景に"花野"が入れば、それだけでも十分にらしさは伝わりますし、草どまりもまた味わい深いものがあります。


10月に入り、それまでとは明らかに天気の傾向が変わり、野分き(台風)が吹き荒れ、冷たい雨も降りました。
そんなある日、朝目覚めると、冷たい雨が猩々と降っていました。休日でもあったので、そのままふて寝しようと決め込んだのですが、ん、待てよとやおら立ち上がると、朝食もそこそこに家を出ました。
雨の里の風情を見てみたかったのです。雨に濡れそぼる草木と、そこに留まるノビタキを見てみたかったのです。幸い"篠突く雨"というほどの雨ではなく、雨合羽を上下着込み、傘も2本用意しました。必ずノビタキが出てくれる保証は全くなかったのにもかかわらず…。
フィールドは葦原を囲む土手。花こそさほど多くは咲かないものの、セイタカアワダチソウ、ススキ、オギ、アシ、セイバンモロコシなどの背の高い単子葉類が伸び伸びと繁茂する合間を埋めるように、幾種ものたおやかな秋草が穏やかに広がります。
けれども雨はますます冷たく、生き物の気配というものがほとんどありません。葦原内部の池で、カワウが数羽じっとしているばかりです。この数日前には、ファミリーで5羽ほどのノビタキが元気に飛び回る様をたくさん撮影しましたが、その姿は見られません。もう抜けてしまったのだろうか、という一抹の不安を胸に抑え込み、歩きまわって探すのをやめて、ともかく待つことにしました。

20分、30分…、けれどもノビタキはおろか、晴れた日にはあんなにたくさん飛び交うトノサマバッタの姿さえ皆無なのです。
40分、50分…、空は暗く、雨は止まず、いつもは散歩の方が行き交う土手に人っ子一人いません。風景が草木が、遠くの木立とさらに遠くのマンションが、機材に差した傘が、そして私の雨合羽もすべてびしょ濡れです。と、不意になんとも言えぬ寂寥感が胸に沁みてきました。濡れそぼる花野の端にじっと立ち尽くす、その目的すらなんだか曖昧になってしまって、時間と空間との境目まで曖昧になって、ついでに己の実在感まで曖昧になってしまい、私は風景の中へ溶けこんでしまいそうになりました。

  わが肩を濡らし花野を濡らす雨 (藤崎久を)

1時間と少しを回った頃、雨が小止みになり、辺りが少し明るくなってきました。さらに暫く経つと雨は上がり、さらに空は明るさを増してきたのです。するとどこに隠れていたのか、ハチやチョウが飛び交い始めるではないですか。
そうだ、ノビだ。ノビに会いに来たんだ! 我に返ったように、私はその姿を求めて少し先まで歩きました。
と、思いがけず近い所に、一羽のノビタキがどこからか飛んできて、草に留まりました。
ようやく会えた喜びをレリーズを通して伝えたくて、私は何枚もシャッターを切りました。
その後ノビタキは三羽見つかり、ほとんど行動を共にしながら私の存在など眼中にないように右へ左へと留まり場所を変えながら、一所懸命に採餌を繰り返していました。
30分もすると再び雨が降り始めましたが、彼らはさして気にする様子もなく、雨の花野に美しく収まります。



翌週、台風が過ぎ、ずいぶん気温も下がった地元の畑地を探鳥していると、あちらこちらにノビタキはいて、これはこれで楽しい撮影ができました。何が楽しいって、農作物とノビタキという図が楽しいのです。
ナガネギに、サトイモに、そして逆光ながらアメリカハナミズキの苗に留まるノビなどです。


本通信が皆様のお手元に届く頃、多くのノビタキは南へと旅立っていることでしょう。渡りは本当に過酷だと聞きます。ノビタキに限らず、すべての渡る鳥たちの渡航の無事を祈らないわけにはいきません。
私? 私は最後のノビタキが消え去るまで、未練たらたら野を彷徨うことにします。秋が終わり、景色が枯れて、花野が枯れ野に変わるまで。

  愚図な純情ふりほどけば花野 (河西志帆)

(了)