≪スタッフ・有志の連載≫
 <第31回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第31回 道行きの花物語
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【北中学校のつる薔薇】

市内北部にある北中学はごく普通の中学校だけれど、正門を挟んで左右に長く敷設されているフェンス沿いに、季節季節の草花がいつもきれいに植えられている。これが“自然科学部”だとか“理科クラブ”の生徒の仕事であればなかなか大したものなのだけれど、それにしては手入れも良く、いつ見ても目を惹く華やかさなので、果たして本当にそうなのかなと思っていたところ、残念ながらというべきか、季節によって草花を入れ替えているのは、その道の専門家によるものだった。

まあ、そのことは半分予想していたことなので、特にがっかりするようなことはなかった。というのも、のべ80bほどもある細長い花壇の手入れって、思うほど簡単ではないからだ。水やり一つとっても、季節によって、あるいは花の種類によっても分量の調節が必要であるし、花の入れ替え時には、たとえば酸性化した土を中和するために消石灰をまくなどの知識も要求される。肥料はいつ何をどれだけ与えるか? さんさんと陽が当たる所なので、日陰や半日陰を好む花は植えにくい、ではどんな花をチョイスするか? 花壇全体のデザインはどうか? 道行く人が幸せな気分になれるような花の配置は? そんなこんなに気を配りながらの仕事は、やはりプロに任せたいだろうから。

中学校の近くには一流の演出家による芝居も催される近代的な劇場があり、最寄りの駅からの通り道に中学校がある。そのせいもあって中学の前を行き来する人は多い。老若男女、通りがかる人々に傾向のようなものはなく、様々な人が行き交う。
ある日、少し足の悪いおばあさんが、注意して見なければ気づかない程度に足を引き摺りながら、けれどもそんなことはちっとも気にしてない様な素振りで、むしろおばあさんはスタスタという感じで中学校の脇を歩いている。

折りしも中学校のフェンスには、赤やら黄色やらのつる薔薇が見事に咲き誇っている。そういえばここは薔薇の町として近年名を馳せてもいる。町は、薔薇を町のシンボルフラワーにしたくて、駅前でも公園でも各種各色の薔薇を植栽し、手入れも怠らない。そして季節ともなれば、辺りは薔薇の色彩に明るく華やぎ、惜しげもなく放たれる芳香は、道行く人々の足を留める。
このつる薔薇もまた、その手入れ管理の賜によるものなのか、花つきもよく、たくさんの大柄な花房が通りかかる人々に向けて微笑んでいる。
人々はといえば、きれいに咲いている花たちを横目で見て歩く人もいるにはいるが、まったく無関心に通り過ぎる人も多い。そしてすたすたと歩くおばあさんもまた、花や薔薇などにはいかにも無関心そうに歩みを止めることはない。

が、不意に、まったく予想外に、おばあさんは両足を気をつけの姿勢に揃えてピタッと立ち止まり、それからやおら薔薇の方へ顔を近づけたかと思うと、黄色の一輪を引き寄せ、そのときは自分がおばあさんであることを忘れたかのような、なにやら無垢な少女のような仕草でその芳香を鼻に引き寄せ、暫くうっとりとした表情を浮かべた。
それから、薔薇の香りの良さとそれを確認した自分の行為につき、さも納得したというように一人コクリと頷くと、また元の、一見無表情な態度に戻ってすたすたと歩み去って行った。

あまやかなブルーの空に、ぽっかりと浮かぶ羊雲二つ三つ。
初夏の湿気をはらまないからりとした風が吹き抜け、おばあさんのココロに明かりを灯した大輪のつる薔薇を揺らし、歩み去るおばあさんの背をそっと押した。





【浅野さんちの紫陽花】

4年前に連れ合いを亡くした浅野さんちのおばあちゃんは、それでも気丈に一人暮らしを続けた。
動物の好きなおばあちゃんだから、毎日の買い物途中ですれ違う散歩の犬に、必ず声をかける。
「あらぁ、チワワちゃんね。こんにちは。今日も元気ね」
「おやシバちゃん、おはよう。今日もいい子ね」
自分で犬は飼えないけれど、近所の猫にそれとなく餌を与えている。でも与えすぎると猫はどんどん増えてしまって隣近所に迷惑をかけてしまうので、節度ある与え方をしている。だから浅野さんちの庭で見られる猫は、だいたいいつも三匹か四匹程度だ。無心に餌を食べる猫たちの姿を、目を細めて見つめるおばあちゃんの表情がとても柔かい。

おばあちゃんは花も好きで、そう広くはないけれど、でも季節季節の花を効率よく植えて、四季花の絶えない素敵な庭をつくっている。わけても、桜が終わっていくらもしないうちに、他に先がけていち早く玄関先に咲く上品な淡ピンクの石楠花が自慢だ。通りかかる見知らぬ方が、たまたま庭に出ていたおばあちゃんに、きれいですねと思わず声がけしてしまうのも、一度や二度ではない。

それから紫陽花。

淡いピンク、濃いピンク、紫、白、青、そしてその中間色までふくめれば、紫陽花の色彩ほど多種多様なものはない。一色二色のシンプルな色合いの花もよいけれど、何度も、そして毎年のように見ても見飽きない紫陽花の魅力は、その複雑で多彩な色合いにあるのだろう。
浅野さんのおばあちゃんの庭にも青、白、ピンクの紫陽花が毎年咲くが、明るいスカイブルーのシンプルな玉紫陽花を、おばあちゃんは殊のほか気に入っている。

そのように、猫と花と、散歩の犬とを愛でる浅野さんちのおばあちゃんの穏やかな日々が数年続いた。
そして齢を一年一年と重ねて、とくに大きな病気をしたわけではないけれど、少しずつおばあちゃんの体は弱っていった。
90歳を過ぎた頃体が思うように動かなくなり、週に何度かヘルパーさんが訪ねてくるようになった。時折りは離れて暮らす息子さんも様子を見に来た。体が動かなければ猫の面倒をみることも適わず、おばあちゃんの家の庭で猫を見かけることがなくなった。もちろん植木や草花の手入れも難しく、少しずつ庭が荒れてゆくのを、きっとおばあちゃんは歯がゆい思いで見ていたのだろう。
残念ながら、確かに季節季節の花は減ってゆき、庭は寂しくなっていった。それでも宿根草や地に根を下ろした樹木性の植物たちは、季節になるとなんとか変わらずに花を咲かせてきたが、いったいきみたちは誰のために花開いたのかと考えてしまうと、その花がきれいであればあるほどなんだか意地らしくてならない。

そして今年も玄関先の石楠花は、少し花つきは少なかったものの、変わらぬ上品な色彩を見せてくれたことを、はたしておばあちゃんは知っているのだろうか。一度だけ、いつもは閉じられている雨戸が少し開けられ、花の少ない庭をぼんやりと眺めるおばあちゃんの姿を認められたけれど…。

梅雨に入り、目覚めたように紫陽花が一気に色づき始めた。真っ白なアナベル。淡いピンクの玉紫陽花。ハナアブを引き寄せたり、ときにニホンカナヘビを休ませていたりする様を見るにつけ、平安の昔から多くの人にこの花が愛でられてきたのは、品格のなかに情をも含む、その風雅な姿にあるのだなと合点する。
浅野さんちのおばあちゃんのお気に入りのスカイブルーの玉紫陽花は、寂しくなってしまった庭の中でも、今年も変わらず鮮やかな色彩を際立たせている。おばあちゃんは、今は手入れはしてあげられないけれど、当のスカイブルーの紫陽花の記憶の中に、丹精を込めて世話をし続けてくれたおばあちゃんの姿がくっきりと残っていて、だからおばあちゃんが今気づいてくれているかどうかに関わりなく、彼(彼女)は、主の見えないことに心を荒ませることなく、むしろ以前よりもいっそう気持ちを込めて、自らの意志で己を輝かせようとしているかのようだ。


今日も静かな雨が降っている。蕭々と降り続いている。雨は地を濡らし、屋根を濡らし、道行く猫を濡らし、そして浅野さんちの青い玉紫陽花を濡らす。雨は雫となり葉からこぼれ落ち、地に吸い込まれる。

きっといま浅野さんちのおばあちゃんは、一人紫陽花ブルーに思いを馳せていることだろう。直接見ることはできなくとも、長年丹精してきた紫陽花だもの、今年もきれいに咲いてくれた紫陽花を、心の目で見ていることだろう。

いままでそうだったように。そして、これからも、ずっと…

(了)