≪スタッフ・有志の連載≫
 <第36回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第36回 浅い春
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雪が降っています。こちらでは今季初の雪が音もなく降っています。雪は、家々を車を畑を空き地を白く覆い尽くし、世界は色味を失い、単調でいくらか物哀しいモノクロームな淡々とした風景が広がります。なに思うなく、そんな景色をこちらも淡々と見つめます。
翌日、気圧配置は冬型へと移行し、季節風が容赦なく吹きつけます。よせばいいのに中途半端な気持ちでフィールドに出てはみるものの、真冬の寒さが、あまりの寒さが感慨も憂いも情緒も奪い去り、私はただの木偶(でく)の棒のように呆然と佇むほかはありません。
「なにのぞむなくねがふなく…」ふと中也の詩が頭をかすめたりもしますが、長続きはしません。すぐに何かを引き裂くような北風の音に意識が持って行かれ、虚無とも脅えともつかない気分のまま、私は早々と踵を返して家路に着きます。なんの成果も得ず、どんな感慨も抱くことができぬまま。…

けれども。

冬至からひと月余りが過ぎ、日脚が伸び太陽の位置も高くなると、そのことをいち早く敏感に感じ取るのが植物です。気温は低いままでも日照時間や何中高度の変化を正確に捉え、野の花ならばホトケノザ・オオイヌノフグリなどが早々と開花し、また梅も早咲きの品種がほころび始めていて、浅い春の到来を告げてくれています。
一度は真冬の寒さに敢えなく撤退した私ですが、マフラーで首をぐるぐる巻きにすると、その春の萌(きざ)しを探しに再びフィールドへと赴きます。
前回ほどではないにせよ、相変わらず冷たい風が吹き抜ける野面は枯れ草ばかり目立ち、色味の乏しい景色が続きます。ただ斜めに差し込んでいた光の角度は今はだいぶ高くなっていて、その分明るさと清々しさを増したように思えます。
さて“春の萌し”は見つけられるだろうか?
私は頭の中の植物地図を広げ、早咲きの梅や早春の花が開花する場所をチェックします。そしてその地図にしたがって近場から順に回ってみます。
一カ所目。おー、期待通り冬至梅がほころび始めています。日当たりが良く、背後を雑木林に守られて北風が防げるこの場所は、私の知る限りどこよりも早くこの清楚な白花を咲かせるのです。しかも人通りはほとんどなく、この美人さんを独り占めという贅沢。
二カ所目。ここは風はあまり防げないけれど、どうかな?
うーん、蕾はたくさんついているけれど、花はいくらも開いていないな。あ、でも蕾に滴が! 蕾の木瓜だって十分春を萌しているではないか。
さらに三カ所目。紅梅はなによりも早く咲くので、きっと大丈夫でしょう。あ、咲いています、やはり。遠目からでもこのピンクはとても目立ちます。驚いたことに、もう八分咲きではないですか。

何よりもどこよりも先がけて咲いてくれたこの花たちの健気な姿に、寒さで虚無的にまで凍りつき、鳴らすことを忘れた私の中なる琴線は徐々に融け出し、ポロンポロンと小さな音をたて始めました。萌してきた春が、私の中にすっと入りこんできた、それがこの日だったのです。

 時ものを解決するや春を待つ (虚子)

冬至梅 木瓜 八重寒紅梅

この花たちを取り巻く環境や気候は決して毎年同じではありません。温暖化と言われている割に、時に凍えるほど寒い冬もあり、この冬至梅が二月下旬まで咲かなかった年もあるのです。それでも生き物は、我々の想像を超えた逞しさと適応力を備えていて、時間差こそあれ今季もきちんと花を咲かせます。

鳥や虫などとの出会いは、それこそ一期一会であることが多いのですが、植物は、とりわけ樹木のように何十年も生きて成長してゆくものとは、これは長い付き合いになります。この白梅は昨年見たのだから、今年はもういいか、とはなりません。むしろ、今年もこの寒さに負けずにどこよりも早く咲いてくれているかなという期待の方がずっと大きく、そしてその期待通りに花開いている様を今季も確認できたとき、この花と初めて出会ったときと少しも変わらぬ感慨を抱くことができる、その歓びがずっと勝るのです。
例えば熱帯では一年中花が咲き果実が生りますから、そうした感慨を抱くことはないのでしょうが、くっきりと四季が分かれるこちらの国では、枯れた花が次に咲くのは、四季咲き品種のものを除けば間違いなく一年後なわけです。この一年という月日の長さのリズムは、もはや我々の体に染みついていて、それ以上短くても長くても大きな感慨を抱くことはないのではないでしょうか。待ちわびて待ちわびて、もう我慢も限界ですよと思った時がちょうど一年なのです、きっと、我々にとっては。

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鳥の世界のこと。
ここ何年も冬は、猛禽類を中心に観察・撮影してきました。たとえそれがトビのような普通種でも、冬の撮影では独特の雰囲気が出るので好んでレンズを向けてきました。でも今季は、くわえて小鳥たち―留鳥・冬鳥を問わず―にも積極的にシャッターを押してみました。

同じ個体ではないにしても、渡り鳥などもまた一年おきにやってきますから、その年に最初に出会えたときは、やはり素直に嬉しいものです。今季は冬鳥があまり多くはないのですが、渡って来た当初に比べるとその警戒心もだいぶ緩んで、無理にこちらから近づかなくともちょうど良い距離で見ることができます。鳥種によっては、思わずこちらが後ずさりしてしまうほど近くに飛んでくることも。

ジョウビタキ シ メ カシラダカ

さらに早春の淡い光を受けた小鳥たちの図です。

 二月はやはだかの木々に日をそそぐ (多田まさ子)

キセキレイ メジロ ビンズイ

そして如月(二月)を迎えました。三日が節分、そして四日が立春。まだまだずっと寒い日は続くでしょうし、雪も降ることでしょう。けれども暦の上のこととはいえ、そんな季節の言葉を目にすると、気分も少し上向いてきます。ただ、その上向き具合がどこまでホンモノなのかが自分でも判然としない、そんないくぶん不安定な気分こそは“浅い春”そのものなのではありますまいか。

 春浅し心の添はぬ手足かな (長谷川素逝)

(了)