≪スタッフ・有志の連載≫
 <第37回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

──────────────────
  第37回 スプリング・エフェメラル
──────────────────


桜前線が北上し、開花から一週間も経てば、世はいわゆる“爛漫の春”を迎えることになります。本通信が皆様のお手元に届く頃には、ソメイヨシノは五分咲きくらいになっていることでしょう。
ただ爛漫の春は、きれいですね、でほぼ言い尽くされてしまいます。絢爛と咲き誇る桜や春の花たちを前に、もはや言葉はあまり意味も力も持たず、その美しさに圧倒されて呆然と立ち尽くすほかはなくなってしまいます。
むしろ、気温はまだ冬のままだけれど、光に力強さが増してきたかなという程度の“兆しの春”から始まり、爛漫を迎える直前までの、気温や風の移り変わり、あるいは蕾が徐々に膨らみ、一輪また一輪と開花してゆく花の移り変わりの、それらのいちいちこそはこちらの想像力を刺激するものがありはしないでしょうか。

酔狂にも、まだ冷たい季節風が吹き抜ける野を、早咲きの紅梅や白梅の最初の一輪を求めてさすらう、ほとんど自虐的とも言えそうな探梅からそれは始まりました。そして、鋭利な風に震えながらも、もう健気という以外にその姿を表す言葉が浮かばない白梅の初めの一輪を認めたとき、静かに、けれども深く心惹かれたのでした。
梅はそれから品種ごとに日を追って咲き、萼の赤さが目立つ最も遅咲きの豊後まで、およそ一月半もの間私の目を楽しませてくれました。

紅梅の一種 豊後とメジロ 豊後とメジロ

梅といえばウグイス、と思い込んでいる方はいまだにたくさんいらっしゃいます。
「あらあ、よく咲いているわねえ、まあ、きれいだこと。あら、鳥! ウグイスかしらね。きっとウグイスよ。ねえねえ、見て見て、ウグイスよ」
「メジロです。ウグイスはもっと地味な鳥で、あんまり表へ出てこないんです」
「あらやだ、メジロですって。知らなかったわね、あははははは…」
梅とメジロの撮影に没頭していたこの一月半の間に、こんな会話を何度交わしたことか。余計なお世話と知りつつも、つい…。

そうこうしている内に行きつ戻りつしながらも季節は進み、早春の花たちが、そろそろいいかなといった風情でおずおずと開き始めました。まだ冷たい空気のせいなのか、それらの花はおしなべて清新で初々しく、希望に満ちて見えます。


サンシュユ ミツバチとオオイヌノフグリ ユキヤナギの仲間

三月も中旬を迎えると、早咲きの桜が開き出します。どうしたことか、早咲き品種の桜は、ほとんどがピンク色に染まります。河津桜、各種の寒桜、寒緋桜、おかめ桜など、濃淡の違いはあってもみんなピンクです。小ぶりな小彼岸桜なども淡いピンク色が愛らしい品種です。

安行寒桜とメジロ 安行寒桜とメジロ 小彼岸桜とメジロ

梅メジロや桜メジロにレンズ(私の場合はデジスコ)を向けていると、そこへ花を見たり写真に収めに来られた方が興味深げに私に話しかけてきます。これはどんなシステムなのか、どんな風に見えるのかと。そこで私は細かな説明をせず、まずはお年寄りにもよく見える液晶フードを覗いてもらうことにします。すると20bも先の花やメジロが、液晶画面に予想だにしない大きさと鮮明さで写しだされているのを見て、皆さん一様にびっくりされます。私たち日本人は、欧米人のように感情を大きく表現することはあまりありませんが、このときは、そのびっくりを実に素直に、大げさに過ぎるくらい声に態度に表してくれるのです。
「あっ、すごい! しかもきれいですねえ」
「ありがとうございます」
少しカメラに詳しい方ならば、どんなシステムなのかを必ず聞いてきますので、できるだけを詳しくご説明します。機器に関心のなさそうな方には、花や鳥の話をします。
「いろんな鳥を撮影しますが、春はずっとメジロです、私の場合は。花の色合いとメジロの色合いが実にマッチするので、それでやみつきというわけです」
「ほんと、よくお似合いです。すごくいいです」
興が尽きないといった感じの方とは、30分以上も話し込むことも。

そんなある日。

植物園の最奥、大きな寒桜がなに憚ることなく伸び伸びと枝を広げている、私の長年の撮影ポイントでもある場所でメジロを待っていると、老夫婦がゆったりと近づいてきました。奥様の方が、どんな風に見えるのかしらと尋ねられるので、早速液晶を覗いてもらいます。液晶フードを覗くのはもちろんこれが初めてでしょうから、何がどんな風に写っているかが瞬時には分からず、あるいは自分が漠然と想像している画角とはまるで違うことに慣れるまでに少し時間がかかるのでしょう、やや間をおいてから、まるで初めて見る新幹線に感激した乗り物好きの幼な子が叫ぶかのように、こうおっしゃるのです。
「あ、あ、なにこれ、え〜、こんな風に見えるの?」
もともと情感豊かであるうえに、子どものように気持ちを素直に発露されるタイプの方なのでしょう。それに続けてこちらが気恥しくなるほど感動とお褒めの言葉を連発していただいたうえで
「お父さん、お父さん、見せていただきなさいよ。素晴らしいわよ」と傍らのご主人に液晶を覗くように勧めるのです。
「お、お、こいつはすごいや。メジロが逆さまになっている」とご主人。
長年連れ添った夫婦は、風貌からものの感じ方まで似てくるといいますが、ご主人は奥様とそっくりの、いやそれ以上に大げさに感動して見せてくれるのです。それもどうやらお世辞ではない証拠に、何度ももう一度見せてくれとせがむのです。私はその日写したヒヨやメジロを幾枚もお見せしました。
暫くそんなやりとりが続いて、お互いにすっかり打ち解けたところで、奥様が嬉しそうにこうおっしゃるのです。
「実は今日は主人の誕生日なんですよ、八十八歳の。ですから良いプレゼントをいただいたようで主人も喜んでいます」
「あ、そうなんですか。八十八歳……、あれ、米寿じゃないですか。わあ、それはそれはおめでとうございます」
「ねえ、お父さん、八十八の誕生日なんだよねえ、今日」
「ああ、今日わしは八十八歳になった、ふぉふぉふぉ。お祝いにいいものを見せてもらった」
「いえ、そんな。ええと、それじゃあこれなんかどうでしょう」
「お〜、ヒヨドリがこっち見てるぞ。ふぉふぉふぉ、愉快じゃなあ」
「よかったねえ、お父さん、誕生日にいいもの見せてもらって」

なおも20分ほどもそんなやりとりを続けたあと、お二人は心から楽しそうな空気をふりまきながら、ゆっくりとその場を立ち去って行ったのです。この世代にありがちな、夫が前を歩き妻が後から従うの図ではなく、お二人は肩を並べて、植物園の通路の右に左に咲く花々を慈しむように眺めながら、ゆっくりゆっくり歩み去って行きました。
実はこの日はあまりメジロもやって来ず、これといった気に入ったカットも撮れていなかったので、無条件に花を鳥を愛でる気持ちになれていなかったというのが正直なところでした。
けれども、実はこの老夫婦との交わりの前にも、やはり私の写真を見て痛く感激し、写真はどうしているのか、展覧会に出している?それはいつ、どこでやるのか、是非見てみたいとどんどん詰め寄って来る?やはり年配のご夫婦がいらしたのです。私はタジタジとなりながらも、名刺(鳥用ですが)を差し上げ、ブログ等でご案内しますからとお返事したのでした。

平生はほぼ一人でフィールドに赴き、あまり人と関わらず、ゆえに写真を撮るにも何をするにも自己流で臨み、範を求めようとしない依怙地な自分を持て余しています。若い頃の一刻さは認められる場合もなくはないでしょうが、いい加減トシくった男の柔軟性に欠けた頑固さは、自分のことは自分が一番分かっているさと思い込む頑なさは、始末が悪いだけで徳も美もあったものじゃありません。
けれども今日、幾人もの方が私に話しかけていただき、私の撮った画像にそれこそ手放しで感動していただいたことは、凝り固まった私の頑なさを少しずつ融かし、久しく味わうことのなかったほっこりと暖かな時間をもたらせてもくれたのでした。

メジロばかり撮っていてなんになるのか? と、時折り自問しないわけではありません。
でもほら、何かになったじゃないか。花とメジロにこだわり続けていたら、いつの間にかその写真がある人を癒し、かつコミュニケーションツールとして自分と人との仲立ちを果たしてくれているじゃないか。大きく印刷して立派な額に入れたものでなくとも、たった3インチの小さな液晶画面に写しだされた、たかがメジロ、たかが寒桜にも、人の気持ちを潤すことのできる力が秘められていたではないか。米寿のおじいさんを祝福できたではないか。奥様の虚飾のない素直な笑顔を引き出せたではないか。

それ以上、望めるものってあるのかい?


午後、植物園から人がいなくなり、また一人になってメジロを待ちます。でも今日のメジロは愛想がなく、少しもシャッターを押すことができません。今日は諦めて、また来ればいいかとも考えるのですが、今日の桜と明日の桜とでは、その眼差しが表情が違います。だからもう少し待とうか…。

そんな諦めの悪い私の傍らで、桜が、そして一輪の椿が、無心に微笑んでいました。

寒 桜 椿

(了)