≪スタッフ・有志の連載≫
 <第38回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

─────────────────────
  第38回 Beyond the sea(海の彼方に)
─────────────────────

テレビ通販で、懐かしのメロディーをCDにして5枚組程度でよく売っています。高齢者が加速度的に増えている現状で、懐かしのメロディーをこんな風に売り出すのは、価格もまずまずリーズナブルに設定してあることもあって、まあニーズによく応えていると言えるでしょうか。ただし、少々音楽にウルサイ方ならば、こうした商品には触手は動かないでしょう。私とて、かなりマニアックに音楽に接してきたと自負していますから、まさかこうしたヒット曲てんこ盛りの5枚組に手を出すことなど決してあり得ないことでした。あり得ないはずでした。あり得ないはずなのに…
あの晩、きっと私は心身ともに疲れ果てていたのでしょう。仕事を終えて帰宅し、でも本を読む気力もなく、何気なくつけた深夜のテレビから、その郷愁を誘う甘いメロディーが流れてきた、その響きに思わず惹きこまれてしまったのが、あの晩です。アンディ・ウィリアムス、トニー・ベネット、ペリー・コモ、エンゲルベルト・フンパーディンク、さらにブレッドやダン・フォーゲルバーグ…、数小節ずつ(この、ちょっとずつサビの部分を流すという手法にもしてやられました)流れる彼らの懐かしい歌声が、私の琴線をかき鳴らすのです。普段のクールな?私ならば、ふ〜ん、懐かしいな、だけで終えてしまっていただろうに。疲れていたんですよ、いろんなことに、きっと。
で、次の瞬間、私は何の躊躇もなくその商品を販売するサイトにパソコンを接続し、住所やら名前やらを書き込み、購入ボタンをクリックしたのです。
数日後、宅配便で届いたCDを早速聴いてみます。懐かしい曲もあれば、ずいぶん流行った曲ではあるけれど、自分にとっては興味の持てないそれもあって、やっぱりこの手の商品に手を出すべきではなかったかと、かすかな後悔を感じながら2枚目をセットします。その2枚目のトップの曲が流れ始めました。

Beyond the sea / Bobby Darin  
   
Somewhere beyond the sea
Somewhere waiting for me
My lover standing on golden sands
And watches the ships that go sailing
Somewhere beyond the sea
She’s there watching for me
If I could fly like birds on high
Then straight to her arms I’d go sailing
海のむこうのどこかでさ
僕の愛する人が、黄金の砂の上で
僕を待ちながら
沖を走る船を眺めているんだ
海のむこうのどこかでさ
そこで彼女が僕を見てるんだ
もし僕が鳥みたいに空高く飛べるのなら
真っ直ぐにきみの元に飛んで行くのになあ

1960年に発表されたボビー・ダーリンの「ビヨンド・ザ・シー」です。私にとってはリアルタイムで聴くにはちょっと古過ぎるので、多分後年どこかで耳にした、そのジャズシンガーぽい歌唱力に惹かれて耳で覚えていた曲です。フランク・シナトラの絶頂期と重なる発表年代なので、歌い方にはその影響も強かったと思われますが、むしろずっと後に活躍したハリー・コニック・ジュニアの歌声に似ています。
で、買って良かったんです、これ。だって買わなきゃボビー・ダーリンの歌なんて一生出会うこともなかったろうし、なによりこの歌がメロディーが、その後ずっと頭から離れないんですから。

5月初めのよく晴れた農地に私はいます。渡りのシギチだとか、葦原などで見られる夏鳥オオヨシキリなどを探しにです。市内西部にずっと広がる農地を、南から順に巡りながらの探鳥です。それぞれが広大な田圃ですが、車を走らせることができる道は限られているので、やはり歩きまわって探すしかありません。一所懸命に歩いて、でも必ずいろんなシギチに会えるとは限らないのが春の探鳥の難しさです。なぜなら春の渡りは足が速く、昨日いた鳥が今日はいないということはざらにあることだからです。
それでもオジロトウネン、コチドリ、ムナグロ、チュウシャクシギ、コサギ、チュウサギ、ダイサギ、アオサギ、アマサギ、オオヨシキリ、セッカ、キジなどを観察できて、充実した時間を過ごすことができました。
もちろん、ずっとSomewhere beyond the seaと口ずさみながら。そのせいなのかどうか、路傍に咲く、それこそ雑草とみなされてしまいそうなナガミヒナゲシさえ、なんだかとてもきれいなのです。

アマサギ アマサギ ナガミヒナゲシ

地域にもよりますが、ここではほとんど田植えが終わり、薄緑色の幼い稲穂が風に揺れている様は、初夏の到来を告げているようです。葦原ではオオヨシキリがひっきりなしにギョーギョーシギョーギョーシと鳴き続け、上空ではセッカがヒッヒッヒッヒッと縄張り宣言に余念がありません。いずれも一夫多妻の繁殖形態をとる鳥ですから、強い雄が他の雄を追い払い、縄張りを保ち、一羽でも多くの雌を獲得し、己のDNAを残そうとするのです。
そんな彼らの力強い囀りを聞いていると、雄としての確固たる意志を強く感じられて、実に頼もしく、爽快でさえあるのです。


セッカ ホオジロ オオヨシキリ

数日後、今度は標高1000bほどの山に来ました。やはり渡って来た小鳥たちの声を聞きたかったからです。
折りしも山は広葉樹の若葉青葉が美しく、清新な萌え立つ緑の若々しい生命力に満ち満ちていました。
夜明け直後の森の中からは様々な鳥たちの声が一斉に届き、渓谷に谺します。センダイムシクイ、エゾムシクイの特徴的な囀り。オオルリにいたっては三方向からその澄んだ鳴き声が届きます。森のピッコロ奏者、キビタキもよく囀っています。ポポ、ポポと谷間によく響くのはツツドリ。キョロンとアカハラに似た声を出すのは、同じツグミ類のマミジロです。ヒガラがせわしなく鳴き、体のわりにこちらを驚かすほどの大きな声で鳴くのはゴジュウカラ。渓流の近くの、これもあちこちから届く元気な歌声はミソサザイ。
さらに徐々に標高を上げて行くと、谷間の底の方からコマドリの声が届く。時折り驚くほど近くで囀るのはコルリ。
どの鳥たちも、日本で繁殖するためにはるばる東南アジア方面から4,000キロメートル近くも渡って来たのです。雄は旅の疲れを癒す間もなく、縄張りを宣言するためにしきりと囀るのです。雄同士の小競り合い、追いかけ合いが頻繁に見られるのもこの頃です。オオルリなどは三羽の雄が追いかけ合うシーンを見ることも。そんなときの彼らの囀りも表情も、文字どおり必死ですから、近くに人がいても気遣う余裕がなく、思いがけず近くの枝に飛んでくることもままあるのです。
雌が近くにいると、雄は鳴きながらよく雌の周りを飛びます。きれいな雄であればあるほど、その自信に満ちたディスプレイ飛行は繰り返されるようです。若い雄では、雌に振り返ってもらえないことも多いらしく、その態度も囀りもなんだか弱々しいものになります。

そんな彼らの歌声を浴びるように聞いていると、嬉しくて、なにやら心洗われ、けれども雄たちの健気なまでの囀りが少し切なくて、胸がつかえるようです。そんな気分に少し流されつつ、私はそっとシャッターボタンを押します。そして脳裏には、やはりあの歌が流れて続けているのです。

It’s far beyond the star
It’s near beyond the moon
I know beyond a doubt my heart will lead me
there soon
We’ll meet beyond the shore
We’ll kiss just as before
Happy we’ll be beyond the sea
And never again I’ll go sailing
No more sailing bye bye sailing
煌めく星々の彼方に
輝く月の彼方、その近くへと
僕の熱いハートが導かれていくよ
すぐにね
僕たちは渚の彼方で出会うだろう
そして以前みたいに、キスを交わすだろう
僕たちは海の向こうで幸せになるんだ
だからもう僕は、二度と
きみ探しの航海に出ることはないだろう

オオルリ 緑なす山 若葉 青葉

「Beyond the sea(海の彼方に)」だけでなく、歌のタイトルには「○○の彼方に」と付されるものが少なくありません。「Beyond the reef(珊瑚礁の彼方に)」「Over the rainbow(虹の彼方に)」などが浮かびます。
海や珊瑚礁や虹の彼方に、果たして夢や希望があるのか?という愚問はここでは避けましょう。
少なくとも農地や、2時間ほど離れた山の向こうで、私は彼らを見つけることができました。その素敵な歌声や姿こそは、私の“憧れ”には違いないのですから。

(了)