≪野鳥観察情報≫
   バードウォッチングのミカタ
 ======== by 松田 道生さん

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  第61回 ハクガン飛来・雑感
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北千住に近い荒川の河川敷にハクガンの幼鳥3羽が、飛来しています。2015年の10月下旬に見つかり、今日現在2ヶ月間滞在しています。

東京周辺では、58年ぶりと渡来とあってツイッターやブログ、Facebookで話題となっています。私も家から近いので、何回かようすを見に行きました。

58年前の記録は、1957年12月から1958年3月までの滞在。かつての新浜、現在の千葉県江戸川河口付近で越冬したものです。このハクガンは高野伸二さんが撮影していて、そのときの写真が『野鳥生態図鑑 VolU』(清棲幸保・著、1959年)に掲載されています。もちろんモノクロ写真で、本はB5版、写真はほぼ見開きなのですが、遠景にいるハクガンは3mmほどの大きさ。写真の下に「↑ハクガン」と書いてあっても、探さなくてはならないほどです。しかし、手前にはマガンの群れ、遠景は五井あたりでしょうか、煙突も工場もないかつての東京湾の風景が広がっている貴重な写真です。

荒川では、そのハクガンが足元まで来るというのですから、たまりません。

ところで、ハクガンは江戸時代には普通に見られた鳥だったと思っています。近世の記録では、1880年のBlakistonとPryerの"Catalogue of The Birds of Japan"に「In large flocks in winter about Susaki, Toukiyau Bay.」と書かれています。”大きな群れ”が複数形です。東京湾に、ハクガンが大群で渡来していたことになります。また、徳川将軍代々の鷹狩りの記録でも捕らえられています。私が、江戸東京博物館で見た江戸時代の屏風絵には、隅田川の周辺の風景に何羽ものハクガンが描かれていました。こうしたいろいろな資料を見る限り、間違いないでしょう。

現在でも北アメリカでは、向こうの風景が見えなくなるくらいのハクガンの群れが健在です。それにもかかわらず、東アジアのハクガンはいなくなってしまいました。関係者のご苦労のかいもあって、数100羽もの飛来が記録されるようになり、その1部が東京までやって来たことになります。あまりにも人を恐れないので、カゴヌケ説があるほど。今年生まれの幼鳥を1度に3羽も逃がすことはないでしょうし、まずハクガンを飼っているところはそう多くはないので野生個体で間違いないでしょう。親鳥といっしょならば、いろいろ危険の回避を教わるのでしょうが、その機会のないまま荒川に来てしまったというのが現実的でしょう。

ところで、荒川のハクガンを見に行って、いろいろ体験しました。まず、渡来2週間後の平日に行った時は、まだ人気で30人ほどのギャラリーに囲まれていました。それも、だんだん増えて、次に数えたときには50人を超えていました。いつもの珍鳥ポイントの活況です。しかし、その10日後、休日にも関わらず3名でした。曇天のこともありましたが、寂しい感じさえしました。さらに12月の平日に行ってみたら、天気はまずまずなのに2名ほど、それも地元の人ばかり。あっというまに人気が凋落した感じです。

写真を撮るだけならば1度行ったらおしまい。「草を食べているだけで、飛んでくれない」というのが、本音のようです。しかし、黒かったくちばしの色が1ヶ月でピンク色が出てくるなど、成長の過程を見られる貴重なチャンスだと思うのですが、もったいない気もします。

おもしろいと思ったのは、人数の多いときはハクガンと人の距離が、だいたい2,30m。ところが人数の少ないときは、ギャラリー、カメラマンとも2,3mまで近づいていました。ようするに、人が多いと牽制し合って、遠くから皆見たり写真を撮ったりしているのです。しかし、人が少ない時は、そっと近づくか、ハクガンが歩いて行く方向にまわって待っていればすぐ近くにやって来てしまうのです。

人の多いとき、ハクガンはマイペースで草を食べながらどんどん人に近づいて行きました。すると、近づかれた人たちが慌てて逃げるのです。だんだん鳥が近づいて行くので、うらやましいと思っていたら、皆ゾロゾロと後退して行きます。実は、このなかに義弟がいたのですが、後でなぜ逃げたのか聞くと「なんだか悪くって」とのことでした。ある意味、鳥を脅かしてはならないという不文律が浸透していることなり、これは良い傾向だと思いました。

警戒心のない鳥だけに飛び立つことも少なく、わざと飛び立たせて写真を撮る輩がでてこないか心配です。なんとか、無事に荒川で冬を越し、生まれ故郷に帰り来年は成鳥になって戻って来てくれることを祈ります。