≪野鳥観察情報≫
   バードウォッチングのミカタ
 ======== by 松田 道生さん

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  第62回 カワセミの功罪
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雑誌『Birder』3月号に、バードウォッチングや野鳥撮影のマナーの歴史を書きました。戦後間もない頃から70年代くらいまでは、マナーについてほとんどと言って良いほど問題にならず、80年代あたりからチラホラ出てきて、2000年前後から顕著になったと思います。いずれにしても、バードウォッチャーと野鳥カメラマンが増えたことと正比例し、人数が増えればマナーの悪い人が当然いることになります。ただ、珍鳥を囲む人数が多いのにもかかわらず、シャッター音だけが響くというコントロールのきいた状況もあって、野鳥業界のマナーは捨てたものではないと思っています。

この原稿を書いていて、野鳥カメラマンの増加の一因としてカワセミの存在があるのではないかと思いました。いわゆるカワセミオジさんの増加です。

たとえば、私のフィールド六義園の常連さんは10名ほど、このうちカワセミ目的の方が3名ほどいます。来園してまずは、カワセミを探して撮影しています。カワセミがいないときは他の野鳥の写真を撮っていますが、名前がわからないので撮影した鳥はなにかと聞かれます。きっかけはカワセミでも、視野を広げて野鳥や自然に興味を持ってもらえればと思っています。

私が野鳥に興味を持った頃、1960年代はカワセミは珍鳥でした。バードウォッチングを始めてカワセミを初めて見たのは7年目、それも東京都内ではなく岡山県の後楽園でした。現在ならば、今日バードウォッチングを初めてカワセミを見たいと言われても、都内の池のある公園でカワセミを見せすることができるでしょう。

ですから、カワセミオジさんの出現は、カワセミが増えた1985年以降であることは間違いありません。私が、カワセミの写真を撮るためにカメラを構えて1日過ごす人に会ったのは、1990年代に入ってからです。探鳥地ガイドの取材で練馬区石神井公園三宝寺池に訪れ時、池のほとりで500mm程度の望遠レンズを三脚に構えたオジさんが数名いたのが初認です。当時は、こういう野鳥とのつきあい方があるのだなあと思ったものですが、今やこれが主流となってしまいました。

これより前、1980年代に杉並区の和田堀公園でカワセミが繁殖していて、ここにカワセミ狙いのバードウォッチャーやカメラマンが集まったと聞いています。同時に、多摩川の聖蹟桜ヶ丘付近でもカワセミが見られるようになり、私もよく見に行きました。ここ多摩川の河原は、広いので三脚が立ち並ぶと言うことはなかったと思いますが、巣があるであろう近くにブラインドが張られていたのは覚えいます。

当時は、まだフィルムカメラの時代ですから、一日いて写真を撮り続けたらフィルム代がバカにならなかったことでしょう。しかし、2000年代に入ってフィルムのいならないデジタルカメラが普及し、1日中粘って撮影することが可能になりました。さらに、大きく撮れるデジスコの普及の影響もあるでしょう。

年代は前後しますが、嶋田忠さんが1979年に『写真集カワセミ』を出版しました。出版社は平凡社、当時は動物雑誌『アニマ』を発行しており、その社風のなかでの発行です。まだ、珍鳥であったカワセミを見事に写真にとらえた写真集でした。とくに、カワセミが水中に飛び込んで魚をくわえるシーンには驚かされたものです。種あかしをすると、カワセミを餌付けして、光センサーで自動的にシャッターを切っています。ただ、餌付けといっても1年がかりでの作業で、赤い金魚では写真にならないので餌の入手に苦労したなど、簡単なことではなかったと島田さんから苦労話を聞かされたことがあります。

この写真集のインパクトは大きく、その後の野鳥写真の普及に大きな影響を与えました。また、こうした写真を撮れば、野鳥カメラマンとして食べていけそうだとプロのカメラマンを目指した人もいたと思います。そして、カワセミの写真を撮り、カワセミの写真が世の中に出回ることになります。カワセミの写真はきれいなので、それを見た人がまたカワセミの写真を撮りたがると、広がっていったと思います。『写真集 カワセミ』は、その後のカワセミオジさんの発生に大きな影響を与えた本と言えるでしょう。

もしデジタル時代が来なかったら、もしカワセミが増えなかったら、もし『写真集カワセミ』が発行されなかったら、野鳥写真の現状が変わっていたかもしれません。カワセミオジさんは出現は、ちょうど歯車がかみ合った結果なのかもしれません。