≪スタッフ・有志の連載≫
 <第45回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

─────────────
  第45回 夏の初めに
─────────────

俳句などの世界では、二十四節季の立夏(5月5日)から立秋の前日(8月6日)までを夏とするのが通例のようです。その夏を初夏・仲夏・季夏の三夏に分けてみると、いまはまさに初夏にあたります。
木々の緑が陽光にきらめき、色とりどりのバラ(薔薇)の花が家々の庭やフェンスに、その色彩を惜しげもなく放つ初夏を迎え、さまざまな生き物が一斉に飛び始める姿も、目に嬉しいものです。

  暫くは五月の風に甘えたし(柳家小満ん)

柳家小満ん師匠の句に同調してというわけでもないのですが、カメラを手にフィールドを歩くのは、この季節は特に楽しいものです。
たとえばわずか十数cmの小さな体で、数千キロも旅してきた奇跡のような渡り鳥は、やがて己の居場所(縄張り)を定め、伴侶を見つけ、子育てに入ってゆくわけですが、そうした一連の行動をつぶさに観察していると、その生態の面白さは興味深く、またその健気さに胸を打たれます。

オオルリ(大瑠璃)は4月には越冬地である東南アジア方面から渡って来ますが、雄は自分の好みの渓間に腰を据えると、まずは己の縄張り確保のために見通しのよい梢の先などで精一杯さえずります。オオルリブルーと呼ばれるオスの体色が美しいからばかりではなく、そうした見つけやすさもあって、この鳥はバーダーの人気を博しています。北海道から九州まで幅広く棲息しますが、2〜300mの低山から2,000m近い山地まで、縦空間の幅広さも特徴のようです。
オオルリにとって過ごしやすい、お気に入りの渓間があるようで(営巣できそうな岸壁や土壁があるか、餌となる虫が豊富かなど)そこには数多くのオオルリが集まってきますから、たとえば渓間のあちら側とこちら側とで、朝から夕方までオスの鳴き較べ?が聞こえてきたりします。ときにはオス同士が鉢合わせして、バトルまがいの追いかけっこをする姿も。オオルリは誰が決めたのか「日本三鳴鳥」の一つに数えられるほどの美声の持ち主ですが、このときばかりはあまり聞いたことのないジュルジュル、ジェッジェッと濁った声で威嚇し合います。こんなときはすぐ近くに人がいても眼中になく、もうそれどころではないという感じで興奮してすぐ目の前の木にとまったりしてこちらを驚かせます。
オオルリ オオルリ オオルリ♀

渓間にはツツドリ(筒鳥)やジュウイチ(十一・慈悲心)などのトケン(杜鵑)類もやってきていて、オオルリやコマドリ(駒鳥)などの巣へ托卵の機会をうかがうようになります。彼らの声が近くですると、それまで伸びやかな美声を渓間に響かせていたオオルリは、ビビビビという短くせわしない警戒音を発して威嚇します。一度托卵されてしまえば、悲しいかなその本能ゆえ己の子が犠牲になっても親鳥は他人の子を育てようとするのです。普通鳥の雛の口の中は赤や黄色の目立つ色になっていて、しかも大口を開けて餌をせがまれると親心が働いてしまい、もしかするとこの子は家の子ではないんじゃないか、あまりに大き過ぎるんじゃないかと疑ってはいても、ついつい餌を与えてしまうんだそうです。

  目には青葉 山郭公(ホトトギス) 初松魚(カツオ)

初夏を讃えるあまりにも有名なこの句は、江戸中期、山口素堂の手によるものですが、同じトケン類であるホトトギス(杜鵑・時鳥・不如帰など)もまた托卵という繁殖形態をとっています。主にウグイス(鶯)に托卵するようですが、素堂は初夏を象徴する鳥としてホトトギスを登場させたのでしょうが、托卵される小鳥にとってはのんびりと句を愛でる余裕などもちろんなく、ホーホケキョなどとよい声を響かせてはいても(こちらも「日本三鳴鳥」ですね)、その裏でホトトギスとの必死の攻防戦が繰り広げられているのです。もっともウグイスは一夫多妻制という繁殖形態ですから、ウグイスの父さんは巣をつくり、メスを呼んで卵を産ませてしまえば、後の子育てはすべて母さん任せなんですけどね。

オオルリ・コマドリ・ウグイス・オオヨシキリ(大葦切)などの托卵される側は、果たしてなんの抵抗策もないままトケンたちのやりたい放題なのかというと、最近の研究では様々な戦略が図られているという調査結果があります。
・托卵させない。
  小鳥たちにとっては自分の体の2倍以上もあるトケン類ですが、それでも体を張って巣に近づけさせないよう必死に追い払います。
・托された卵を排除する。
  ただこれは自分の卵をも過って落としてしまう危険もあります。
・巣を放棄する。
・巣の上に別の巣を再構築して、托された卵を育てない。
以上のような観察・研究結果があるようですが、これも高い比率で行われているわけではないので、トケン類が絶えてしまうことはないんですね。
ツツドリ ジュウイチ若鳥 ホトトギス

5月の中旬に赴いた山にはオオルリやコマドリが数多くいましたが、そこへ定期的にジュウイチが、その名のとおり「ジュウイチ、ジュウイチ」と鳴きながら渓間に飛んでくると、面白いことにオオルリもコマドリも木々の梢で、あるいは深い渓間の底で大きな声でそれに呼応するように一斉に鳴き声をあげるのです。まだ巣作りも始まっていない段階でも、天敵?への備えは今から始まっているんですね。

ところでコマドリやコルリ(小瑠璃)といえばバーダーやカメラマンに人気の鳥ですが、基本的に笹などが密生した所から出てこない鳥なので、なかなか見つけ難い鳥でもありますね。ところがそれを撮りたいばかりに、安易に再生装置でのおびき寄せやら、あの忌むべし“餌付け”に頼ろうとしがちですが、鳥の習性や棲息場所を学習し、かつ根気よく探鳥し、そして少しの運に恵まれれば、そうした鳥も撮影はできることを付け加えておきたいと思います。その上で出会えた喜びこそは、私たちバーダーにとり最もうれしいものなのではないでしょうか。
おびき寄せたり餌で釣ったり、はたまた舞台設定して撮影した鳥の姿は、果たして自然の美しさを反映しているものなのでしょうか。当たり前のことですが、人為の加わらない自然な鳥の姿こそは、貴重で美しいものとは言えないでしょうか。
コマドリ コマドリ

愛らしき野鳥たちですが、生きてゆく過程での様々な繁殖戦略の妙と、その攻防を知ると、さらに鳥たちへの興味も増してゆきますね。

さて、初夏は初夏らしい(と勝手に思い込んでいますが)花が咲きます。こうした出会いもまた心躍るものです。
平地に住んでいますので、普段は平地の花を見ていますが、夏の初めのこの季節に、少し標高のある場所で鳥撮りと合わせて植物観察です。すると普段見られない花と出会えて、またしても目が心が喜んでしまいます。
クリンソウ(九輪草)は山間地に咲くサクラソウ(桜草)の仲間ですが、湿潤な環境を好み50cmほどにもなる見栄えのする花です。花が数段に渡って咲く様が、仏閣の屋根にある九輪に似ていることから、この名が付されたそうです。
またヤマツツジ(山躑躅)は、ちょうど青葉若葉のころに、その緑に映える素朴な赤が美しい花です。
クロフネツツジ(黒船躑躅)という名はあまり耳慣れないことと思います。安土桃山時代以降、日本にやってくる外国船はみな黒船と呼ばれましたが、その黒船に乗って運ばれた躑躅なので黒船躑躅なんだそうです。それはさておき、山地の樹間で見た大振りなピンク色のこの花はとてもよく目立ち、でも派手過ぎない上品な色合いに惹かれました。
クリンソウ ヤマツツジ クロフネソウ


平地の里山にも咲くフデリンドウですが、山地では少し送れて咲き始めます。この愛らしき風情にぞっこんという方は多いのではないでしょうか。
山野の路傍や、林道沿いの崖地などに多く見られるウツギ(空木・卯の花)の白い花は、いかにも初夏に相応しい花だとは言えないでしょうか。唱歌「夏は来ぬ」の出だしが、この卯の花ですね。発表が明治前期の1896年といいますから、随分長い間歌い継がれてきてるんですね。

 卯の花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ
 さみだれの注ぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ
 橘の薫るのきばの 窓近く蛍飛びかい おこたり諌むる 夏は来ぬ
 棟(おうち)ちる川べの宿の 門(かど)遠く水鶏(くいな)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ
 五月やみ蛍飛びかい 水鶏鳴き卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ


卯の花・時鳥・早乙女・玉苗・橘・蛍・水鶏…。まあこれでもかというくらい初夏を彩る風物がどんどん登場してきますね。ことほどさように初夏という季節が人々に愛されてきた所以ではないでしょうか。
ちなみに「夏は来ぬ」の“ぬ”は古語の完了の助動詞で、現代語ならば「夏が来た」ということになります。英語で表せば Summer has just come. となりましょうか。でも「夏が来た」では小さい子の作文であって、ここは時代が古かろうが古語が嫌いだろうが(筆者も大の苦手でした。特に古典文法)、どうあっても「夏は来ぬ」でなくてはならないと思います。
もう一つ。下の右端の写真はイカリソウ(碇草)の変種かと思われます。山地に近い植物園で撮影したものですが、淡紅色で繊細な花の佇まいにいたく惹かれました。
フデリンドウ ウツギ イカリソウ

早くもアジサイ(紫陽花)が咲き始めています。
愛すべき初夏はもう暫く続き、やがて梅雨入りを迎え、サンコウチョウ(三光鳥)やアカショウビン(赤翡翠)の繁殖が本格化する頃には、季節は仲夏ということになります。緑は濃く深く、森の中ではあのホトトギスも托卵相手のウグイスの巣を必死に探していることでしょう。
ウグイスには少々気の毒ですが、ちょっとだけホトトギスの方を応援したくなっているこの頃です。

(了)