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────────────────────── 第69回 浮き世離れした人たち ────────────────────── 「浮き世離れした人たちですね」と、言われたのはバブルまっさかりの1980年代後半のこと。当時、私は日本野鳥の会の職員でした。縁のあった広告代理店が、航空会社のPR誌にバードウォッチング特集を提案、企画がとおりマイフィールドの六義園で取材を受けたときに言われました。 最近のニュースで、電通社員の自殺が問題になっています。バブル当時の広告代理店のブラックさは、今以上だったと思います。クライアントの企業からは奴隷扱い、はっきり「奴隷です」と言った大手企業の宣伝部の社員もいましたし、「奴隷ですから」と自虐的に言っていたプロダクションのデザイナーもいました。ですから、とくにかく締め切りに間に合わせることが鉄則で、徹夜は当たり前の世界でした。重ねて、接待などの飲み会があるのですから、皆ふらふらで仕事してました。前出の宣伝部の社員は、打ち合わせ中に居眠りしているのが常でした。 そんな修羅場の毎日を過ごしている代理店の営業からコピーライター、カメラマンの方たちをご案内したわけです。季節はちょうど春で、シジュウカラがさえずり、池にはカモがのんびりと浮かんでいるなかでの取材です。そして、双眼鏡の使い方から鳥の見つけ方まで、バードウォッチングのまねごとをしたときに言われたのです。彼らのとしは、はじめて知る世界で、たいへん興味を示してくれました。 しかし、取材の後、「浮き世離れしている」と言われて、私は軽いショックを受けました。私の周りは皆、同じように野鳥や自然を楽しんでいる人ばかりなのですから、私にとってはこれが当たり前のこと。それが、他から見るとそんな風に見えるのかと思ったものです。当時の日本野鳥の会の会員数は1万人になったかならないかの時代です。世の中から見れば、少数派であることは間違いありません。そうか一般的に見れば、私たちは少数で浮き世離れしているのかと、改めて自覚しなくてはとも思いました。 今も当時もバードウォッチングは、誰でも楽しむことができて、野鳥や自然に親しむことから何を得てもらえればということで普及活動をしていました。ですから、バードウォッチングが特殊で特別の人たちの趣味、あるいは専門家のもの、さらにはオタクの世界だと思われないように言葉に気をつけています。そのため、ぎりぎり浮き世離れもちょっと困った表現となります。ですから、そのあとはバードウォッチングの意味をていねいに解説したと思います。 時代は流れ、あれから四半世紀がたっても広告代理店は、まだ同じような仕事のしかたをしていたことになります。バブル当時、仕事をしていた方たちは定年を迎えていると思いますが、この業界では伝統的にブラック気質で仕事をしていたのでしょう。 ひるがえって今、ちょっとした緑地に行けば、それぞれに常連さんのバードウォッチャーや野鳥カメラマンがいて、鳥を見ている光景は当たり前となりました。当時、浮き世離れしていると言われた人が、たくさん増えたことになります。むしろ、がむしゃらに働いている広告代理店のほうが、今や浮き世離れしている人と言われるべきではないかと思ってしまいます。 |