≪スタッフ・有志の連載≫
 <第51回> 風の音にぞ…
 ============ by 漂鳥

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  第51回 春、来たりなば…
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今年の1月はとても暖かかったこともあってか、今季の梅はずいぶん早くに咲きだしました。1月25日にはもう早咲き品種が八分咲きとなり、2月1日には私自身の年中行事「春のメジロ撮り」を早くも開始したのです。しかも2月以降は寒波も押し寄せ、梅は例年よりもとても長く楽しめました。
さらに2月20日過ぎには河津桜が、3月10日前後には寒桜が、それぞれ例年より10日ほども早く八分咲きとなり、春メジロの撮影は佳境を迎えました。

緋桜という名の梅 河津桜 安行寒桜

佳境を迎えました、と記しましたが、確かに2010年までは、花もメジロも愛らしく(それは今も変わりませんが)「春メジロ」の撮影は明るく無邪気に楽しめたものでした。けれども2011年を境に、この時期に何かを楽しむことに幾許かの“ためらい”を感じてしまうのは、やはり3.11という忘れられない日があるからでしょう。それは私たち日本人が8月6日・9日が忘れられないのと同様な位置づけにある、いえむしろリアルタイムに経験しただけに、それ以上に(もちろん8月6日・9日を風化させてはなりませんが)あれから6年を経たいまでも身の引き締まるような思いがよみがえるのは、3.11にまつわる現在進行形としての多くの問題が未解決のままであることを、この日を迎えるたびに改めて思い知るからでしょう。

東日本大震災は、まだ全然収束になど至っていないのです。

震災直後は「がんばろう」「前を向こう」「絆」といった前向きなスローガンがあふれました。そうした言葉を発し続けていなければ、被災当事者も周囲の方も、その重すぎる現実に堪え切れなかったからでしょう。
けれども時が経ち、6年の歳月が流れ、そうした言葉では掬いきれない(救いきれない)実情がたちはだかり、ときに力を喚起してきた、ときに力そのものとなったそれらの言葉が、空虚に響いてしまうこともあります。新聞やテレビが、6年を経た後の「今の問題」を特集していたりもしますが、解決に向けての糸口すらつかめないケースも多く、そうした報道を受け身で見ているこちらにも無力感がひろがります。

そんな折り、6年前の拙ブログを見返してみました。個人的にあまり過去を振り返る方ではないのですが、やはり6年を経て、尖っていた槍の先が少しずつ摩滅してゆくように、いつしか当時の緊張感ややるせなさ、嘆きを忘れつつあることが分かりました。
デジスコドットコムが発行する、鳥にまつわる本メールマガジンにこのような記事がそぐわないだろうことは十分に承知していますが、6年を経て6年前を振り返ることになにがしかの意味がもしあるのであれば、手抜きのようで申し訳ないのですが、6年前のブログ記事を載せていただく我が儘をお許しいただけたら幸いです。


Be Brave 勇気を!(2011年3月18日)

改めて申し上げるまでもなく、日本に文字通り未曾有の大災厄がふりかかり、災害を被らなかった私はこの1週間というもの、仕事以外にはほとんど家を空けることなく、日々刻々と増え続ける犠牲者の数や、津波に押し流され、跡形もなく消えた街の、その瓦礫の山や、一触即発状態の原発の様子などを次々と映し出すテレビ画面を、本当に言葉もなく見入るばかりだった。

沈痛、挫折、絶望… およそ希望などの概念とは正反対の言葉ばかりが脳裏に並ぶ。

神様、いったいこれはなんの仕打ちなんですか? 日本人が何か特別悪さを働きましたか? これも試練なんですか? なんのための試練なんですか? もしこれがあなたの仕業なのなら、私は到底あなたの行いを容認できない…
気持ちの持ってゆく場所が見つからずに、普段は考えもしないことを考えてしまう自分がいる。

当然というべきかやむを得ずというべきか、あらゆる行事・イベント・スポーツなどが中止または延期となっている。個人的なことを言えば、家内が半年以上かけて準備してきたことの発表会も中止となった。
けれども被災地のことを思えば、誰もそのことに不平を表明するものはいない。というより皆が皆その不平を胸のうちに押さえ込んでいるのだろう。

被災地のことを思えば…。

そのようにして1週間が鬱々と過ぎた。

この間「なにかできることは?」と考えた。気持ちとしていますぐ飛んでいって、瓦礫の一つでもいい、片付けようじゃないか、だったが、実際には足手まといになるのが関の山。
少々の募金はしたものの、他にできることが見つからない。一方で仕事の上では今が営業面では大切な時期で、しかしこの事態で思うようにいっていないという焦りも手伝い、複雑な気分が続く。

さらにガソリンやらパンやら米やらが店頭からなくなるというヒステリックな気分が蔓延し、世の中の気分も普通ではない。
ことほどさように、大災厄は人々の目に見える部分のほかに、目に見えない部分にまで多大な影響を与え続けている。裏返せば、繰り返しになるが日本は我々が経験したことのない災厄に、現在進行形で見舞われ続けている。

もう一度問おう。今、できることは?

実はさしてない。できそうなことを具体的に言えば「節電」に努めること。ついでに水やガスなどもムダづかいしないようにする。これまでスイッチ一つで当たり前のように手に入ってきた、所謂ライフラインと呼ばれる電気・水・ガスが、いざ手に入らないとなったときに、いかにそれらが貴重かということを思い知らされた。

Twitterなどを利用して、情報が行き交い、場合によっては励ましあい、できることを確認しあうというような、新しい展開も生まれている。それはそれで悪いことではない。場合によっては、テレビでは得られない生の情報も得られそうだ。ただしその情報がすべて正しいとは限らないので、その判断は利用する者に委ねられている。下手をすれば放射能対策としてうがい薬を飲んだり、海草をやたら食べたりになってしまうこともある。

それで、お前自身はどうするんだい? どうしたいんだい?

と、改めて聞いてくる自分がいる。ただでさえ優れない気分のところへもってきて、そんなことを聞くなよ。でも、もう発生から1週間が経っている。いつまでもこの“停滞”を続けていくわけにもいかない。では、どうする?

こんな思いを、恐らくは多くの方が同じように持っていることだろう。だから掲示板にしてもブログにしても、ほとんど皆さん自粛している。パソコンそのものをあまり見ない方も多いだろう。

が、それでも、例えばこの「時々の野鳥たち」を訪問くださっている方がいらっしゃる。もちろんそれまでの半分ほどにはなっているが、それでも漂鳥さん、なんか言ってないかな、更新してないかなとクリックしてくださる方がいる。こんなブログだからそんなに多くの方が来ているわけでもない。いや、数は問題じゃない、たとえ一人でも見てくださる方がいるということに私は応えるべきなのではないか、いま私がなすべきことは、もちろん被災地の方々に思いを馳せつつも、これまでどおり自分のしてきたことを継続して行うこと、あるいは顰蹙をかうこともあるやも知れぬ、それでも私は私なのだから、こうしてブログを再開することも私のやるべきことの一つなのではないか、そう思った。

え、こんなときに鳥見? そう言われそうだ。私自身もそう思う。思わないではいられない。実は今日、ほんの少しだけ自然公園に行ってみた。家にいてもどうせ停電だしということもあった。 着いてみたら、すっかり様相が違う。時期的なものなのか、あるいは地震のせいでもあるのか、カモがほんとんどいない。それから人がいない。散歩の人すらチラホラしかいず、なにやら不気味に静まり返っている。ただならぬ雰囲気とはこのことか。

1週間の間に河津桜は盛りを過ぎてしまい、メジロもやってこない。唯一マヒワだけが大きな群れになって地上と樹上を行き来している。とりあえずそのマヒワを撮る。常と変わらず一所懸命に撮る。でも、どこか乗り切れない。ココロの奥のほうが重たい。鮮やかな黄色のマヒワはとてもきれいだ。一斉に飛び立つ様も麗しくさえある。それなのに、もったいないことにそのことに感動しきれない。

そんなことで、現在の偽らざる感情を記してみた。とてもじゃないが「がんばろう」とか「希望を持って」とか「明日を見よう」とか言う気にはなれない。だって希望も明日もまだ持てない人たちにに向けてそんな絵空事を言ったところで、一文の足しにもならない、偽善にすらならないだろうから。

いまはとにかく、停滞から少しだけ抜け出してみようとあがいているだけ。でも、いまはそれで仕方がないと自分に言い聞かせている。

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最後になって本当にもうしわけありません。被災地で亡くなられた方たちのご冥福をお祈りするとともに、なんとか命をつないでいる方々へ心よりお見舞い申し上げます。なにもお役に立てなくてすみません。

またできたら更新します。
今日のブログを書いて公表したこと、気の小さい話ですが、これが今の私の最大の勇気です。タイトルのBe braveは、本当は私自身に向けてのものでした。



歳月は人を変えるし記憶も薄れがちにさせることは、いたしかたない面もあるかも知れません。
けれどもそんな変わってゆく自分をときに諫める意味でも、ましてどう生きるか、かろうじて繋いだ命の行く末は、エネルギー政策は等々、あらゆる課題を日本につきつけた震災の経験を風化させてはいけないこと、すべての日本人が我慢強く、そして謙虚にふるまった、その挙措のいちいちを忘れない意味でも、ときに振り返ってみることが必要なのかも知れません。

日に日に春が深まり、様々な季節の花が開き、いまは麗しき3月です。ウグイスが鳴き、ベニマシコが柳の新芽を美味しそうに頬張ります。季節が美しければ美しいほど、それを愛でることのできる幸せをかみしめなければいけないなと、あらためて思うのです。。

ウグイス ベニマシコ

(了)